2011年05月02日

Coffee Break247 カナンへの道(民数記25章、31章)



 民数記31章のミディアン人との戦いは、25章の事件に端を発しています。イスラエルの民がシティムのとどまっていたときに、モアブの娘たちとみだらなことをし始めたことです。それだけなら、たんなる「不品行」です。イスラエルのおきてでも、不品行だけなら、相手の女性が未婚なら、しかるべきお金を払うか、結婚してしまえばよかったのです。しかし、娘たちがイスラエルの民を招いて自分たちの神々を拝ませたことが、問題だったのです。これは、ただちに、偶像礼拝を意味していました。
 たちまち、主の怒りが燃え上がったのです。


 これを、モアブの側から見ると、イスラエルの男たちを性的に誘惑するだけなら、意味がないわけです。
 モアブは、ヘシュボンやパシャンに勝って、自分たちの領地にまで入り込んできたイスラエルを怖がっていました。そこで、イスラエルをのろってもらうために、霊能者バラムを招いたのですがうまくいきませんでした。
 女たちがイスラエルの民を誘惑したのは、モアブの次なる作戦だったのです。

 何度も書きますが、イスラエルはアブラハム・イサク・ヤコブの神への信仰によって建てられた国です。国とはいえ、領土がなく、いわば同じ神への信仰が国境です。ですから、ほかの神々が侵入してくるのは、国境を破られるのにも等しいのです。、
 モアブは、武器で戦って勝てそうもないので、この国家の見えない国境を破ろうとしたのです。
 
 まんまと敵の作戦に乗せられて、モアブの神々を拝んだ男たちは、それゆえ、殺されたのです。
 「殺せ」と命令したモーセや、じっさいに配下の者を殺した民のかしら、また、全イスラエル人が、そのあと、会見の天幕の入口で泣いた(民数記25章6節)のは、敵に国境を破られ、大きな損害を受けたからでしょう。
 
 ☆☆☆☆
 
 ただ、25章の危機と31章の報復の戦いとの結びつきには、少し、違和感を覚えるのは、私だけでしょうか。
 目に見えない「神政政治国家」の戦いにしては、その戦果が、あまりに、目に見える「具体的な記述」です。
 「敵の男子をすべて殺した」「五人の王を殺した」「男の子どもとイスラエル人を誘惑したと思われる女たちを殺した」と書かれています。
 分捕りものの数も、まるで帳簿にあるように詳しく記されています。戦利品の分け方も具体的です。

 しかも、分け方の具体的な指示を、主みずからしておられるのです。
 
 
 主はモーセに次のように言われた。(民数記31章25節)
「あなたと、祭司エリアザルおよび会衆の氏族のかしらたちは、人と家畜で捕虜として分捕ったものの数を調べ、(26節)
 その分捕ったものをいくさに出て取って来た戦士たちと、全会衆の間に二分せよ。(27節)
 いくさに出た戦士たちからは、人や牛やろばや羊を、それぞれ五百に対して一つ、主のためにみつぎとして徴収せよ。(28節)」



 エジプトを出てから四十年間、イスラエルは荒野をさまよう貧しい集団でした。その旅路は、渇きと飢えのなかにありました。その民が、ようやく力をたくわえてきて、三つの戦いに勝ちました。さらにカナンを勝ち取るための、資金や軍備が必要なところです。

 それにしても、イスラエルがカナンを得るプロセスは、楽なものではありませんでした。


 「これが、アブラハムに約束された神の祝福なの」と、思われる人もいるかもしれません。
 もとより、神様はこのようなことをすべてご存知の上、アブラハムに約束されたのでしょう。祝福は、すでに準備されていたのです。

 いま、完成した聖書を読ことができる私たちには、さいわいにも、それがわかるのですが。







 

posted by さとうまさこ at 04:00| 東京 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | Coffee Break | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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