2011年05月16日

Coffee Break260 神の愛(ヨナ書) 




 ヨナが神の警告を触れ歩いたので、ニネベの人たちは神を信じ、上は王や大臣、身分の高いものから低いものまで、荒布を着て悔い改めました。

 人も、獣も、牛も、羊もみな、何も味わってはならない。草をはんだり、水を飲んだりしてはならないとのお触れが出るほど、徹底したものでした。
 その結果、神は、彼らに下すと言っておられたわざわいを思い直されたのです。

 ところが、このことは、ヨナを非常に不愉快にさせた。(4章1節)のです。

「主よ。今、どうぞ、私のいのちを取ってください。私は生きているより死んだほうがましですから。」

 これは、ヨナがダダをこねているのです。かつて、タルシシュ行きの途上、ヨナはニネベへ行くよりは死んだほうがましだと思って、嵐の海に投げ込んでもらったのに、神はヨナが死ぬのをお許しになりませんでした。

 そこで、今度は、ヨナは、「死なせて下さい」と、頼んでいるのです。神様は、ヨナを死なせるはずもないのですから、まさに子どもが親に無理を言って、すねている図です。

「あなたは当然のことのように怒るのか。」(4節)
 
 神様のあきれておられる様子が見えるようです。
 ヨナは、自分の反抗的な気持ちを、態度で表すことにしました。町外れの小高い場所に行き、小さな仮小屋を作って、その陰の下に座り、町の様子を見物することにしたのです。
 
 さあ、町にわざわいを下してくださいと、意思表示したつもりでした。

 神様は、ヨナが暑い日ざしの中に座って、ますます不機嫌になっていくのを、あわれに思われました。一本のとうごまの木を生えさせ、ヨナの頭に大きな影が落ちるようにしてくださいました。
 ヨナは、ホッとし、喜びました。

 喜びも束の間、翌朝はやく、神様は一匹の虫をとうごまの木に這わせました。虫がとうごまを噛んだので、たちまち、とうごまは枯れてしまいました。
 太陽が昇ってきた頃、神様は焼け付くような東風を起こし、その上、太陽がヨナの頭に照りつけたので、ヨナはぐったりと衰弱していきました。

 ヨナは、すねて言いました。
「私は、死んだほうがましです。死にたいです。死なせて下さい。」
 たとえ、衰弱死しそうでも、神様はヨナを死なせないのを知った上での反抗です。

 神様は、おっしゃるのです。
「このとうごまが、枯れたから怒るのか」
「私が怒るのは当然でしょう。私は死にそうなほど苦しんでいるのですよ」


☆☆☆☆

 そこで、主は仰せられるのです。
 「あなたは、自分で骨折らず、育てもせず、一夜で生え、一夜で滅びたこのとうごまを惜しんでいる。(10節)
 まして、私は、この大きな町ニネベを惜しまないでいられようか。そこには、右も左もわきまえない十二万以上の人間と、数多くの家畜とがいるではないか。」(11節)



 主・神を、イスラエルの神だと思いたいヨナは、このことばを聞いて、どのような気持ちになったでしょう。
 思うようにならなくて悔しい気持ちと同時に、神様の前に、心からひれ伏したのではないでしょうか。ヨナは、神のことばを聞いて、神の御用をすることができるほどの預言者だったのですから、天地を創造された神の愛の、大きさ、広さ、高さ、深さを、瞬時に悟ったのではないでしょうか。

                     つづく
 




posted by さとうまさこ at 04:00| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | Coffee Break | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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