2011年05月20日

Coffee Break264 不信仰の結果(申命記1章)




 申命記1章は、バランの荒野での事件は、是が非でも語っておかねばならぬと思っているモーセの気迫が見える箇所です。
 民の神への不従順は、エジプトからカナンまで一ヶ月ほどと言われる道のりを、四十年に長引かせただけではありません。

 度重なる民の反抗やつぶやきに苛立って、思わず岩を叩いて水を出したモーセ自身、罰を受けてカナンに入ることができなくなったのです。
 

 主はあなたがたのために、この私に対しても怒って言われた。「あなたも、そこに、入れない。(申命記1章37節)
 あなたに仕えているヌンの子ヨシュアが、そこに、入るのだ。彼を力づけよ。彼がそこをイスラエルに受け継がせるからだ。(38節)
 
 あなたがたが、掠奪されるだろうと言ったあなたがたの幼子たち、今はまだ善悪のわきまえのないあなたがたの子どもたちが、そこに、入る。わたしは彼らにそこを与えよう。彼らはそれを所有するようになる。(39節)
 
 あなたがたは向きを変え、葦の海への道を荒野に向かって旅立て。」(40節)



 モーセの演説のこの箇所は回想ですから、パランの荒野での事件と(民数記13章)、ツインの荒野での事件(20章)が交錯しています。

 カナンに入れないと神から宣告されたイスラエルの民は、一転、反省したようなそぶりで、戦う姿勢を見せ、「私たちは主に向かって罪を犯した。私たちの神、主が命じられたとおりに私たちは上っていって、戦おう。」と、言いだすのです。

 しかし、すでに主に見放された民の戦いが、うまく行くはずがありません。

 彼らが山に登っていくとエモリ人が彼らを打ち、さんざん追い散らされ、戻ってきた民は、主の前に泣いたのでした。

 主はあなたがたの声を聞き入れず、あなたがたに耳を傾けられなかった。(45節)

 こうしてあなたがたは、あなたがたがとどまった期間だけの長い間ガディシュにとどまった。(46節)
 

☆☆☆☆

 
 この三十八年に及ぶ長い足踏み状態の期間は、だれよりも、リーダーであるモーセにとって重い歳月だったのではないでしょうか。
 モーセにしても、いっしょに出てきた同胞と手を携えて、カナンの地を踏みしめたかったに違いありません。
 エンターテイメントの映画や小説なら、さまざまな苦難ではらはらしても、やがて全員で目的地に入るのが定石です。聖書は、人間の真実を描くものですから、ときに、どうしようもなくシリアスなのです。


 エジプトへ帰ろうと言い出した民を説得しできず、カナン入りの前に死に絶えさせたことは、モーセにとっても痛恨の思いで振り返る出来事でした。
 
 彼は言ったのです。

「おののいてはならない。彼らを恐れてはならない。」(29節)
 あなたがたに先立って行かれるあなたがたの神、主が、エジプトにおいて、あなたがたの目の前で、あなたがたのためにしてくださったそのとおりに、あなたがたのために戦われるのだ。(30節)
 また、荒野では、あなたがたがこの所に来るまでの、全道中、人がその子を抱くように、あなたの神、主が、あなたを抱かれたのを見ているのだ。(31章)

 このようなことによってもまだ、あなたがたはあなたがたの神、主を信じていない。(32節)


 
 イエス様は、「見ずに信じるものは幸いです。」(ヨハネの福音書20章29節)と仰せになりました。

 出エジプトのイスラエルの民は、多くの奇蹟を目の当たりにしていてさえ、神を信じ続けることができませんでした。

 信じることの難しさを、認識させられるのは、私だけでしょうか。




 
posted by さとうまさこ at 04:00| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | Coffee Break | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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