2011年05月21日

Coffee Break265 エサウの末裔(申命記2章1節〜8節) 




 申命記2章では、イスラエルがカディシュを出て、エドムとモアブを迂回し、次にヘシュボンの王シホンと戦ったことが、回想されています。
 1章と同様、民数記で記録されている事実が、もう一度繰り返されているわけです。
 民数記の記録との違いは、イスラエルがエドムとモアブの地を迂回した理由が述べられていることです。
 以下は、Coffee Break221で、エドムについて説明した時に、引用した民数記の箇所です。
 
 さて、モーセはカディシュからエドムの王のもとに使者たちを送った。「あなたの兄弟イスラエルはこう申します。あなたは私たちにふりかかったすべての困難をご存知です。(民数記20章14節)

 そこで、私たちが主に叫ぶと、主は私たちの声を聞いて、ひとりの御使いを遣わし、私たちをエジプトから連れ出されました。今、私たちはあなたの領土の境にある町、カディシュにおります。(16節)
 どうか、あなたの国を通らせてください。私たちは畑もぶどう畑も通りません。井戸の水も飲みません。私たちは王の道を行き、あなたの領土を通過するまでは右にも左にも曲がりません。」(17節)
 しかし、エドムはモーセに言った。「私のところを通ってはならない。さもないと私は剣をもって、おまえを迎え撃とう。」(18節)


 イスラエルがエドムの領土を通りたかったのは、エドムの中央を貫いて「王の道」があったからです。王の道はモアブ、ヘシュボン、パシャンをも貫通していましたから、このような公道を行くのが、一番安全で近道であったのです。
 ※「王の道とは、シリヤのダマスコからヨルダン川東岸のエドムの領内を通過してアカバ湾に至り、エジプトに向かう重要な通商路。(岩波書店刊、旧約聖書V注釈)」
 
 エドム側がモーセの要請を断った理由は、わかりません。

 イスラエル側は、途中の畑や井戸に立ち寄らない、ただ通過するだけですと誓っているのですが、通過するなら迎え撃とうと言うのです。そこで、モーセとイスラエルはエドムを通過するのを諦めて、エドムの西の国境を迂回することになったのです。
 これは、その後、同様な申し入れを断ってきたエモリ人の王シホンと戦って町々を攻め取り、人も家畜も聖絶したのと比べて、大変な違いです。


 なぜ、エドムには譲歩したのか、その理由が申命記2章に述べられているのです。 
 
 モーセがエドムに申し入れをしたとき、主がモーセに仰せになったのです。

 あなたがたは、セイルに住んでいるエサウの子孫、あなたがたの同族の領土内を通ろうとしている。彼らはあなたがたを恐れるであろう。あなたがたは十分に注意せよ。(申命記2章4節)

 彼らに争いをしかけてはならない。わたしは彼らの地を、足の裏で踏むほども、あなたがたには与えない。わたしはエサウにセイルを所有地として与えたからである。(5節)


 ☆☆☆☆
 
 エサウは、ヤコブの双子の兄でした。本来、長子であるエサウが、アブラハム、イサクの家の財産と祝福を継ぐはずでした。ところが、その祝福と長子の権利を、ヤコブが計略によって奪ってしまうのです。二人の母リベカが、ヤコブの後ろ盾でした。

 激怒したエサウから逃げて、ヤコブは伯父ラバンの元に行くことになりました。そこで懸命に働いて、十二人の息子と多くの財産を作ってカナンに戻ってくるのです。
 ヤコブは、兄の仕返しをおそれていましたが、エサウはすでにセイルに拠点を持つ大きな族長になっていて、ヤコブを許していました。(Coffee Break65参照)

 このようにエサウが大きな成功を治めたのは、神がエサウを祝福されたからでした。エドムは神様が約束された土地ですから、イスラエルはそこに踏み込んではならないと、主は言われたのです。それゆえ、モーセはエドムとの戦いを避けたのでした。

 過ぎ去ったこのような事件の一つ一つが、すべて自分の個人の判断ではなく、神の命令によって行なわれたことを、モーセは民に再確認させているのです。
 神はエサウの末裔のことも、気に掛けておられたのです。 




posted by さとうまさこ at 04:00| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | Coffee Break | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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