2011年05月25日

Coffee Break269 モーセの無念(申命記3章21章〜26章)




 ヨルダン川の東岸の地を手に入れたイスラエルは、ルベン人とガド人、マナセの半部族にその地を与えることに決めます。
 ただし、彼らのうち、相応の戦闘要員は、ほかのイスラエルの部族がカナンの相続地全部を手に入れるまで、ともに戦うことを誓います。

 カナン入りのリーダーはヨシュアです。それは、主がみずからお決めになり、すでに、叙任式もすんでいます。(民数記27章18章〜23章)
 モーセは、申命記3章21節で、かつてヨシュアを任命した時に彼を励ましたことばを明らかにします。

 わたしは、そのとき、ヨシュアに命じて言った。「あなたは、あなたがたの神、主が、これらふたりの王になさったすべてのことをその目で見た。主はあなたがたがこれから渡って行くすべての国々にも、同じようにされる。(申命記3章21節)
 彼らを恐れてはならない。あなたがたのために戦われるのはあなたがたの神、主であるからだ。」(22節)
 


 ヨシュアは四十年間、モーセのそば近くにいて、偉大な預言者、民のリーダー、モーセをつぶさに見てきたでしょう。それでも、あくまで、ヨシュアはモーセの従者に過ぎませんでした。
 モーセの心に、イスラエルの将来について、一抹の心配があったとしてもふしぎではありません。 
 「私は神を信頼する。神がヨシュアにも同じようにともにいてくださる」と、モーセはまるで自分に言い聞かせているかのようです。
 できるなら、自分が同行して見守ってやりたい。せめて、かの地に渡るまで生きていたい、とモーセが願ったとしても当然です。

 モーセは、主に懇願します。
「神、主よ。あなたの偉大さと、あなたの力強い御手とを、あなたはこのしもべに示し始められました。あなたのわざ、あなたの力あるわざのようなことができる神が、天、あるいは地にあるでしょうか。(24節)
 どうか、私に、渡って行って、ヨルダンの向こうにある良い地、あの良い山地、およびレバノンを見させてください。」(25節)
 
 しかし主は、あなたがたのために私を怒り、私の願いを聞き入れてくださらなかった。そして主は私に言われた。「もう十分だ。このことについては、もう二度とわたしに言ってはならない。」(26節)


 ☆☆☆☆


 モーセとアロンが、カナンに入れないと神さまから宣告されたのは、「メリバの水」事件(民数記20章6節〜13節)のためでした。
 民が水を求めて、主と争ったとき、モーセは民のわがままさに思わず自制心を失い、神が岩に命じよと仰せになったところを、岩を杖で打ってしまったのです。それでも、水は出たのですが、神の指示どおりにしなかったことで、咎められたのです。

 モーセにとって、それは悔やんでも悔やみきれないことだったのでしょう。

 申命記4章では、またしても、そのことを持ち出します。

 主はあなたがたのことで私を怒り、私はヨルダンを渡れず、またあなたの神、主が相続地としてあなたに与えようとしておられる良い地に入ることができないと誓われた。(4章21節)

 私は、この地で死ななければならない。私はヨルダンを渡ることができない。しかし、あなたがたは渡って、あの良い地を所有しようとしている。(22節)


 神は、モーセがミディアンの野で、羊飼いとしてのんびり暮していたところを、とつぜん召し出され、出エジプトのリーダーに任命されたのです。

 それからのモーセの人生は、主の預言者としての大任と、身勝手な民との間で、心労と苦難の連続だったのです。
 
 しかし、ここでも、神は人間の欲求や計画と、神のご計画や御心が異なることを決然と示されるのです。
 
「もう十分だ。そのことについては、二度とわたしに言ってはならない。」
 



posted by さとうまさこ at 04:00| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | Coffee Break | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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