2011年05月28日

Coffee Break272 もう一度十戒(申命記5章)


 
 
 さて、モーセはイスラエル人をみな呼び寄せて彼らに言った。
 聞きなさい。イスラエルよ。きょう、私があなたがたの耳に語るおきてと定めとを。これを学び、守り行ないなさい。(申命記5章1節)

 私たちの神、主はホレブで私たちと契約を結ばれた。(2節)


 申命記とは、重ねて命令する(書)と言う意味です。
 この書は、1章から33章まで、モーセの演説になっていると前にも書きましたが、とくに、5章から26節までは、十戒とそれにともなう細則(おきて)が繰り返されているのです。

 内容的には、出エジプト記20章で示されたと同じ戒めですが、もう一度、書き出しておきましょう。

 前置き、 「わたしは、あなたをエジプトの国、奴隷の家から連れ出した、あなたの神、主である。

 第一の戒め、あなたは、私のほかに、ほかの神々があってはならない。
 
 第二の戒め、あなたは、自分のために、偶像を造ってはならない。
 
 第三の戒め、あなたは、あなたの神、主の御名を、みだりに唱えてはならない。主は、御名をみだりに唱える者を、罰せずにはおかない。
 
 第四の戒め、安息日を守って、これを聖なる日とせよ。あなたの神、主が命じられたとおりに。
 
 第五の戒め、あなたの父と母を敬え。
 
 第六の戒め、殺してはならない。
 
 第七の戒め、姦淫してはならない。
 
 第八の戒め、盗んではならない。
 
 第九の戒め、あなたの隣人に対し、偽証してはならない。
 
 第十の戒め、あなたの隣人のものを欲してはならない。
                         (申命記5章6節〜21節)
 


 
☆☆☆☆


 ヨルダンの東岸でカナン入りを待っているイスラエルの民は、シナイ山(ホレブ)では、二十歳以下か、生まれていなかったかのどちらかだったのです。神が、シナイ山で、火と煙との中を下りてこられ、モーセに十戒を下さったのを、見ていない世代なのです。
 
 ただ、イスラエルの民はすでに幕屋を持ち、祭儀も祭司制度も確立しているのですから、十戒を知らないわけではなかったでしょう。同じものを、もう一度、述べられるのには意味があります。
 

 主が、この契約を結ばれたのは、私たちの先祖たちとではなく、きょう、ここに生きている私たちひとりひとりと、結ばれたのである。(3節)


 モーセは、これらの戒めやおきてが、繰り返しとしてではなく、ここに生きる私たちひとりひとりと(あらためて)結ばれたのである、と言うのです。

 このことは、いま、聖書を読む私たちに、とても大きな意味を投げかけることばではないでしょうか。
 聖書は、三千五百前から二千年前にかけて書かれたものです。そのような聖書のことばを、いま、私たちは自分に与えられたものとして読むことができる、その理由がわかるのです。
 神が、聖書を、いま、ここに生きる私たちひとりひとりに与えてくださったと、すでに、宣言してくださっていると言うのは、私の読み込みすぎでしょうか。
 





posted by さとうまさこ at 04:00| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | Coffee Break | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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