2011年05月31日

Coffee Break275 主の命令と私たちの義(申命記7章1節〜11節) 




 私たちの神、主が命じられたように、御前でこのすべての命令を守り行なうことは、私たちの義となるのである。(25章)

 申命記を通じて、モーセが、イスラエルの民に重ね重ね喚起させているのは、「神に従いなさい。自分たちの父祖の神、アブラハム・イサク・ヤコブの神、自分たちをエジプトの奴隷の家から救い出してくださった神を覚えて、その契約の律法を心に刻み、守り行ないなさい」ということです。

 その理由は、御前でこれらの命令を守り行なうことは、「私たちの義となる」からでした。

 それだけに、モーセは、神の命令を行なうのを妨げるものを徹底的に排除するよう命じています。


 あなたが、入って行って、所有しようとしている地に、あなたの神、主が、あなたを導き入れられるとき、主は、多くの異邦の民、すなわちヘテ人、ギルガシ人、エモリ人、カナン人、ペリジ人、ヒビ人、およびエブス人の、これらあなたよりも数多く、また強い七つの異邦の民をあなたの前から追い払われる。(申命記7章1節)

 あなたの神、主は、彼らをあなたに渡し、あなたがこれを打つとき、あなたは彼らを聖絶しなければならない。彼らと何の契約も結んではならない。容赦してはならない。(2節)

 また、彼らと互いに縁を結んではならない。あなたの娘を彼の息子に与えてはならない。彼の娘をあなたの息子にめとってはならない。(3節)

 彼はあなたの息子を私から引き離すであろう。彼らがほかの神々に仕えるなら、主の怒りがあなたがたに向かって燃え上がり、主はあなたをたちどころに根絶やしにしてしまわれる。(4節)


 戦いのとき異邦の民である敵を容赦してはならない。異邦の民と契約をしてはならない。異邦の民と縁を結んではならない。その理由は、そのような妥協や盟約や縁が、神からイスラエルを離れさせ、結果として、神の怒りがイスラエルを根絶やしにしてしまわれるからと説明されています。


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 むしろ、彼らに対して、このようにしなければならない。彼らの祭壇を打ちこわし、石の柱を打ち砕き、彼らのアシュラ像を切り倒し、彼らの彫像を火で焼かなければならない。(5節)

 この激しく厳しい命令は、聖書を読む人が一度は戸惑う箇所ではないでしょうか。とくに、何でも、なあなあ・まあまあのところで妥協して済ませてしまいたい私たち日本人には、きついところかもしれません。

 多神教の日本人の多くは、いくら敵のものだといって、仮にも「神様」。それを切り倒したり、焼いたりするなんて「もったいない」と言うかもしれません。


 これほど、厳しいことばをくどくどと重ねているのは、じつは、イスラエルの民もなかなかモーセの命じることを、理解していなかったからではないかと、私は思います。

 
 モーセは、イスラエルの民のプライドに訴えます。
 また、神の理屈抜きのイスラエルへの愛を訴えます。 
 
 あなたは、あなたの神、主の聖なる民だからである。(6節)

 主があなたがたを恋い慕って、あなたがたを選ばれたのは、あなたがたがどの民よりも数が多かったからではない。事実、あなたがたは、すべての国々の民のうちで最も数が少なかった。しかし、主があなたがたを愛されたから・・・。(7節)


 それから、主がどれほど崇高で比類なき方かを、子どもをさとすように教えます。

 あなたは知っているのだ。あなたの神、主だけが神であり、誠実な神である。主を愛し、主の命令を守る者には恵みの契約を千代まで守られるが、(9節)
 主を憎むものには、これに報いて、主はたちどころに彼らを滅ばされる。主を憎むものには猶予はされない。たちどころに報いられる。(10節)


 そして、またも、モーセは、繰り返すのです。

 私が、きょう、あなたに命じる命令──おきてとさだめ──を守り行なわなければならない。(11節)

 シナイ契約では、契約の履行、おきてとさだめとさとし(律法)を守ることで、神の前に義とされたのですから、モーセが精魂を傾けて民にその遵守を訴えたのは当然です。

 けれども、イスラエルの民は、結局、律法を守って神の前に義となることはできなかったのです。






posted by さとうまさこ at 04:00| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | Coffee Break | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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