2011年06月05日

Coffee Break280 神への従順(申命記、マタイ4章)

 

 申命記には、息苦しいまでの切迫感があります。モーセの「遺言」だからでしょうか。
 律法の書(モーセ五書)の五番目に置かれたこの書物は、内容も、五番目にふさわしく、出エジプトからカナンまでの物語のしめくくりです。

 いよいよ、カナン入りが目前に迫っています。じつは、カナンに入らなければ、神のアブラハムに対する約束は果たされないのです。
 もちろん、カナンに入って、イスラエルが国を建てただけでも、まだ約束は完了しません。神、主はアブラハムに仰せになったのです。

 地上のすべての民族は
 あなたによって祝福される。(創世記12章3節)


 イスラエルはカナンに入ってからこそ、本当の使命が始まるのです。それは、神のイスラエルへの祝福が、全人類に及ぶ役割を担うことです。


 第四十年の第十一月の一日にモーセは、主がイスラエル人のために彼に命じられたことを、ことごとく彼らに告げた。(申命記1章3節)

 モーセの演説は、このように始まるのです。
 モーセは神の救いの計画を、今日、完結した聖書を持っている私たちほど知っていたかどうかは、私にはわかりません。けれども、神、主の愛の強さ深さ、その深遠なご計画については、イスラエルの民とは比較にならぬほど、わかっていたのでしょう。

 イスラエルの民は、エジプトを出て以来、神の大きな愛と比類なき力を見ながら、つぶやき続け、神を試み、不従順でした。息づまるような演説は、モーセが自分の死んだあと、民がカナンを征服できるのか、危惧している証拠とも言えます。

 
 モーセが振り返っているように、イスラエルは何度も過ちを犯しました。それらは、突き詰めれば、神への不従順でした。モーセは、この過ちを繰り返さないよう、何度も警告しています。

 あなたがマサで試みたように、あなたがたの神、主を試みてはならない。(6章16節)

 気をつけなさい。私が、きょう、あなたに命じる主の命令と、主の定めと、主のおきてとを守らず、あなたの神、主を忘れることがないように。(8章11節)

 あなたが万一、あなたの神、主を忘れ、ほかの神々に従い、これらに仕え、これらを拝むようになることがあれば、きょう、私はあなたがたに警告する。あなたがたはかならず滅びる。(19節)

 主があなたがたの前で滅ぼされる国々のように、あなたがたも滅びる。あなたがたがあなたがたの神、主の御声に聞き従わないからである。(20節)



 ☆☆☆☆

 モーセの警告から、イスラエルの民にとってもっとも必要なのは、神への従順だと言うことが見えてきます。

 いえ、イスラエルの民だけが、不従順だったと決め付けるのは酷かもしれません。聖書や歴史に、「もし」はないのですが、ほかの民族が選ばれていても同じようなものだったでしょう。人はだれしも、神に不従順なのです。しるしやふしぎを目で見てさえ、数日で、その神の力に信頼できなくなるのです。毎日のパン──マナが与えられると、「マナにあきあきした」と不満を言うのです。マナはあるけれど、肉までは(神様でも)出せまい。こんな荒野で、水が出るわけがないと、モーセに詰め寄るのです。


 人は、神より悪魔に従いやすいのです。悪魔のささやきは甘く、悪魔の見せるものはこの世の愉しみ、栄華だからです。
 人と神との間を裂くことが、悪魔の悦びです。エデンの園でエバをそそのかして、神と人との間に「罪」という隔てを作って以来、悪魔は、人をふたたび御許に連れ帰ろうとしておられる神と人との間に割り込んで、邪魔をしているのです。

 
 荒野でイエス様を誘惑した悪魔は、さすがに人間の弱点をよく知っていました。人となられた神、イエス様にも、同じ弱点を期待したようです。
 もちろん、子なる神と呼ばれるイエス様は、「ただの人」ではありませんでした。
 みことばで悪魔を撃退し、父なる神への従順を貫かれたのです。





posted by さとうまさこ at 04:00| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | Coffee Break | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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