2011年06月12日

Coffee Break286 主はあなたの賛美、主はあなたの神であって(申命記10章21節、ヨブ記1章21節)

 


 二十代だったころ、とても美人で華やかな「詩人」の友人がいました。彼女は美しいだけでなく、アパレル関係の実業家のご主人からたくさんのお小遣いを使わせてもらっていました。
 ご主人は華やかで人気者の奥さんを愛しておられ、彼女の生活にとても寛大でした。おかげで、私もお宅にお邪魔して、ご主人とお話しすることがありました。

 生意気な私は、事業のことなどまるでわからないのに、彼にお尋ねしました。
「セーター一枚の原価は、どれくらいですか」
 会社では大勢の人を使っているその方からみると、事務員としても使い物になるかどうかわからないような女の子だったはずですが、ご主人は笑って答えてくださいました。
「ただですよ」
「え!?」
「もとは、ただ。ぜーんぶただです」
「でも・・・」
「あのね。セーターの毛糸も毛糸の元の羊も、羊の食べる草も、みんな、ただ。織機もミシンも、建物も、元は、全部ただのものです。全部、途中で人手間(ひとでま)がかかっている。その手間が値段になるだけですよ」

 私はなんだか、はぐらかされたような気がしました。しかし、当時のさまざまな記憶が薄れる中で、そのお話を妙にはっきり覚えているのは、間違いなく衝撃があったからです。
 

☆☆☆☆

 私たちはいま、とても豊かな社会に住んでいます。食べ物、着る物、住まい、交通通信手段、すべて必要なものは手に入り、クオリティの改良が問題になっている社会です。
 私たちはそのような便利で快適な生活材や、快適な暮らしは当たり前だと思うと同時に、そのために、かなりみんなが努力しているのも認めています。

 あり余るものを持ち、ものを邪魔だと思うことはあっても、ありがたいと感謝することが少ないのです。全部、自分たちの力と知恵が生み出したものだと思っています。

 それで、私は、今ごろになって、「全部ただですよ。もとはみんな、自然界にあるものです」と、言われたことを思い出すのです。彼はクリスチャンではありませんでしたし、神についてじっくり考えるようなことがあったかどうかもわかりません。
 でも、ゼロから歩み出した人が見るものを、見ていたと思います。

 
☆☆☆☆

 主はあなたの賛美、主はあなたの神であって、あなたが自分の目で見たこれらの大きい,恐ろしいことを、あなたのために行なわれた。(申命記10章21節) 

 あなたの先祖たちは七十人でエジプトに下ったが、今や、あなたの神、主は、あなたを空の星のように多くされた。(22節)

 イスラエルの民がエジプトに下った理由は、居住地だったカナンが何年も続く飢饉で、食べ物がなかったからでした。ヤコブとその一族はその時、七十人ほどでした。
 やがて、エジプトの政権が変わる中で、彼らは奴隷になって苦しむことになったのです。
 
 ゼロどころか、マイナス状態のイスラエルの民をエジプトから導き出された神、十の奇蹟や葦の海の奇蹟を顕されて、彼らを救い出されたアブラハム、イサク、ヤコブの神を、モーセは「あなたの賛美」「あなたの神」と言っているのです。

 じっさい、葦の海の底を渡りきったイスラエルの民は、神を賛美しました。モーセの姉ミリヤムは、女たちとタンバリンを叩いて、賛美を歌ったのです。(出エジプト記15章)

 
 あり余る物に囲まれている私たちも、もともとは、何ももっていなかったのです。


 私は裸で母の胎から出てきた。
 また、裸で私はかしこに帰ろう。
 主は与え、主は取られる。
 主の御名はほむべきかな。  (ヨブ記1章21節)


 富豪と呼ばれたヨブが、災難のために一瞬にして、すべてを失った時に言ったことばです。
 まさに、「主は私の賛美、主は私の神」です。






posted by さとうまさこ at 04:00| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | Coffee Break | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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