2011年06月23日

Coffee Break294 御声に聞き従い(申命記13章4節)



 
 あなたがたのうちに預言者または夢見る者が現れ、あなたに何かのしるしや不思議を示し、(申命記13章1節)
「さあ、あなたが知らなかったほかの神々に従い、これに仕えよう」と言っても、(2節)
 その預言者、夢見る者のことばに従ってはならない。あなたがたの神、主は、あなたがたが心を尽くし、精神を尽くして、ほんとうに、あなたがたの神、主を愛するかどうかを知るために、あなたがたを試みておられるからである。(3節)

 あなたがたの神、主に従って歩み、主を恐れなければならない。主の命令を守り、御声に聞き従い、主に仕え、主にすがらなければならない。(4節)


 パウロの例が模範ですが、どんな種類の占い師がいても、私たちクリスチャンは恐れません。
 ばかばかしいとは思っても、わざわざ彼らと対決することもあまりありません。個人的に、占いやまじないの霊にはまっていてしまって困っている人がいたら、相談に乗ってくださる教会や牧師、信徒もいるでしょうが、先方が付きまとってこなければ、たいてい、放っておくでしょう。

☆☆☆☆


 私たち、イエス・キリストを信じる者には、ゆるぎない信仰があります。
 天地すべてをお造りになり、いまも、未来永劫、それを統べておられ、全知全能で、私たちの罪を贖うために、ご自身(そのひとり子という表現もあります)を十字架につけて血を流すことさえされた愛の神様です。そのような方が、いつも私とともにいてくださるのです。まっとうな「占いの霊」なら、向こうからこちらを避けるはずです。
 
  
 ただ、「心を尽くし、精神を尽くして、ほんとうに、あなたがたの神、主を愛する」真実なクリスチャンでいつづけるのは、容易なことではありません。御声に聞き従うためには、むしろ聖書をまじめに読む、知的な学びも要求されるのです。

 そうしないと、霊のワナがあります。私たち自身が小さな霊に身売りしたり、神様を自分勝手に、小さなものにしてしまうのです。


 このブログのリンク、佐々木先生のサイトに、興味深い記事がありました。

 先生の祈り会で、「神様の御声を聞いた」と、信徒たちが打ち明けたというのです。
 もし、そうなら、モーセみたいとは言わないまでも、少しうらやましいと思うクリスチャンたちもいるでしょうか。

 少し引用させていただきましょう。


「そうです。いまでも神様のみ声を聞く人たちがいます。幻を見せてもらう人も、意味のある夢を見せてもらう人もいるかもしれません。一方、そのような神様のお働きは、今はありえないと教える牧師や教師もいます。でも、聖書の教えを調べる限り、無いと断定することはできません。神様には何でもできるからです。ただし、何でもなさる神ではありません。する必要があると神様が判断なさったときには、してくださるのであって、する必要も、意味もないことをする神ではありません。

 神様は、現在でもみ声をかけてくださることができます。だれもそれを妨げることはできません。夢も見させ、幻も映し出してくださることができます。でも、そのようなことをする必要は、もう、ほとんどなくなったのです。聖書があるからです。

                   (おかしなペンテコステ信仰6月16日付、花咲いた雑談より)
 

 引用はこれだけですが、ぜひ、全文を読まれるようおすすめします。





posted by さとうまさこ at 00:07| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | Coffee Break | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。