2011年07月12日

Coffee Break314 愛の行く末(申命記21章10節~17節)




 殺人事件のつぎは、女性の問題です。女性に関するおきても、さまざまな形で聖書に取り上げられています。神様は人間を男と女とに作られたのであり(創世記1章27節)、両者の間には、まるで別人種かと見まがうような違いがあっても、一対でなければ生きていけないようにされているのです。

 あなたが敵との戦いに出て、あなたの神、主が、その敵をあなたの手に渡し、あなたがそれを捕虜として捕らえていくとき、(申命記21章10節)

 その捕虜の中に、姿の美しい女性を見、その女を恋い慕い、妻にめとろうとするなら(11節)

 その女をあなたの家に連れて行きなさい。女は髪をそり、爪を切り、(12節)

 捕虜の着物を脱ぎ、あなたの家にいて、自分の父と母のため、一ヶ月の間、泣き悲しまなければならない。その後、あなたは彼女のところに入り、彼女の夫となることができる。彼女はあなたの妻となる。(13節)


注:捕虜(ほりょ, Prisoner of war, POW)とは、武力紛争(戦争、内戦等)において敵の権力内に陥った者をさす。近代以前では、民間人を捕らえた場合でも捕虜と呼んだが、現在では捕虜待遇を与えられるための資格要件は戦時国際法[1]により「紛争当事国の軍隊の構成員及びその軍隊の一部をなす民兵隊又は義勇隊の構成員[2]」等定められている。
(ウィキぺディア・フリー百科事典より)


 小説家なら、この状況の中から、「戦場の恋」の話を書き上げるかもしれません。捕虜になっている女性と、捕虜を引いていく勝者の兵士。女性は捕虜の着物を脱ぎ、髪をそり、爪を切らなければならない──多分、汚れてみじめな様子なのでしょう。引いていく男も戦場を駆け回った後ですから、衣服は乱れ、頭にほこりをかぶっているかもしれません。それでも、恋が生まれるのが男女というものでしょう。

 でわかるように、この女性は、女性兵士ではなく、一般人です。しかし、申命記20章14節にあったように、イスラエルにかぎらず戦いに勝った側は、女や子どもや家畜を戦利品と見なしたのです。
 ここで、女性が、「自分の父と母のために一ヶ月歎き悲しまなければならない」とあるのは、老いた両親は、価値がないとして殺されたのか、あるいは、戦火の中に置き去りにされたのかもしれません。
 それでも、勝者側の男に見初められ、妻に迎え入れられたのは幸運だというべきでしょうか。

 この箇所には、まだ続きがあります。

 もしあなたが彼女を好まなくなったなら、彼女を自由の身にしなさい。決して金で売ってはならない。あなたはすでに彼女を意のままにしたのであるから、彼女を奴隷として扱ってはならない。(14節)

 結婚に至った幸運な恋も、「死が二人を別つまで」まっとうされてこそ「ハッピィ・エンディング」です。二人の間が冷えた時、それも、男が女を好まなくなった時、女を放す自由が男にある? このあたりも、今の感覚では理解できません。
 古代は、場所を問わず、民族を問わず、勝者と敗者の落差がハッキリしている社会です。また、男と女の立場の差も歴然としていました。


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 ある人がふたりの妻を持ち、ひとりは愛され、ひとりは嫌われており、愛されているものも、きらわれている者も、その人に男の子を産み、長子はきらわれている妻の子である場合、(21章15節)

 その人が自分の息子たちに財産を譲る日に、長子である、そのきらわれている者の子をさしおいて、愛されている者の子を長子として扱うことはできない。(16節)

 きらわれている妻の子を長子として認め、自分の全財産の中から、二倍の分け前を彼に与えなければならない。彼は、その人の力の初めであるから、長子の権利は、彼のものである。(17節)



 同じ一族とはいえ、自分の生んだ息子をかわいいと思うのが人情です。より愛されている女は、夫に自分の息子を特別扱いさせようとするのです。それゆえ、モーセは、好悪の感情ではなく、長幼の順序を守るように戒めているのです。

 複数の妻の例は、聖書のいたるところに見ることができます。アブラハムの妻サラと奴隷女ハガル、ヤコブの二人の妻レアとラケルと彼女たちの奴隷女。サムエルの母ハンナは、エルカナと言う男の妻ですが、エルカナにはもう一人の妻ベニンナがいました。
 ダビデには、名前がわかっているだけでも八人の妻──ミカル、アビガイル、アヒノアム、マアカ、ハギト、アビタル、エグラ、パト・シェバ──がいます。ソロモンの妻と妾は千人と伝えられています。

 もとより、神の御心は最初にアダムとエバを造られたように、一夫一婦制です。しかし、すでに、一夫多妻が当たり前の社会で、おきてを厳しくしても守るのは困難です。
 ここにあるようなおきては、神が人間社会に精一杯譲歩しておられる箇所です。
 同様なおきては、すでに、出エジプト記21章10節にあります。

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 人間の歴史を通じて、一夫多妻は事実上容認されてきました。その結果、家族の複雑さから騒動が起こるのを防ぐために、あらゆる国や時代に、さまざまなルールが取り決められていたようです。
 日本の平安時代の上流階級では、母親の血筋を重んじました。母が天皇の皇女、上級貴族など高貴の出身であれば、その子は高貴な地位を受け継ぐのです。大名家でも、正妻(第一夫人)の子どもから、父親の地位や家督を受け継ぐような「家法」がありました。

 また、戦前は、嫡出子(正妻の子)、庶子(妾の子)、私生児(父親の認知のない子)と、子どもの立場を戸籍で区別しました。これは、正妻の社会的立場と地位を守る意味があったかもしれません。しかし、生まれてくる子どもが庶子や私生児の場合、本人の責任でもないことのために大変なハンディになったのです。

 本来、愛し合うように作られている男と女の関係も、やはり、罪にゆがめられ、悲しみや苦労の原因にもなってきたようです。





posted by さとうまさこ at 00:03| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | Coffee Break | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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