2011年07月15日

Coffee Break317 実生活における諸問題(2)(申命記23章)




 申命記23章は、イスラエルの民の日常的な祭儀との関わりについて、多くの字数を費やしています。

@こうがんのつぶれた者、陰茎を切り取られた者は、主の集会に加わってはならない。(申命記23章1節)

 主の集会とは、申命記16章に書かれている「主の例祭」(Coffee Break303)および、会衆が一同に集まる礼拝のことです。これに出ることができないのは、イスラエル人の資格を外されているのと同じ、村八分にあっているのと同じ深刻な状況です。
 こうがんのつぶれた者、陰茎が切り取られた者とは、去勢された人のことです。その大きな理由は宦官を作るためでした。異教の習慣ですが、そのような者がイスラエルに入ってくることもあったのでしょう。
 また、レビ記22章24節には陰茎を切り取られた動物、こうがんのつぶれた動物をささげ物にしてはならないとあります。雄の多くを去勢するのは、牧畜民の間でふつうのことでしたが、去勢後の動物をささげてはいけないと戒めているのです。

A不倫の子は主の集会に加わってはならない。その十代目の子孫さえ、主の集会に加わることはできない。(2節)

 姦淫の場合は、見つかれば石打だったのです。不倫の子とは姦淫ではなく、レビ記18章の、「性に関する禁忌」(Coffee Break169参照)を犯した結果、生まれた子どもでしょう。

Bアモン人とモアブ人は主の集会に加わってはならない。その十代目の子孫さえ、主の集会に加わることはできない。(3節)

 アモン人とモアブ人が、イスラエルがカナンに入るため上ってきたときに、霊能者バラムを雇ってイスラエルを呪わせたことを咎められているのです。
 また、両者とも、そのルーツがアブラハムの甥ロトなのですが、ロトとその娘の間に生まれた子どもがモアブ人とアモン人であると言うことで、卑しめられているのです。

 しかし、聖書のこのような「戒め」は原則的なものです。モアブ人とイスラエル人の結婚も禁止されています。ところが、モアブの女ルツがイスラエル人のボアズと結婚し、オベデという息子を生みました。オベデの息子がエッサイ、エッサイの末息子がダビデでした。モアブの女ルツは、ダビデ王の曾祖母になったのです。そのような話を、わざわざ一つの書物「ルツ記」として、記録しているのも聖書の神の大きさです。

Cエドム人を忌みきらってはならない。あなたの親類だからである。エジプト人を忌みきらってはならない。あなたはその国で在留異国人であったからである。(7節)

 エドムは、ヤコブ(イスラエル)の双子の兄エサウの建てた国です。本来エサウが受け継ぐべきアブラハムの家の祝福をヤコブが強引に奪い取ってしまいました。けれども、エサウはヤコブを許したのです。イスラエルは、この過去を忘れていないのでしょう。
 エジプトは、カナンの飢饉に際して、ヤコブ一族七十人ほどで、移住したイスラエル民族が六十万人にも増えた場所です。エジプトがイスラエルに対して果たした役割を忘れてはいけないということです。

Dあなたは敵に対して出陣しているときには、すべての汚れたことから身を守らなければならない。(9節)

 ここでは、人間の生理現象による汚れへの対処が書かれています。一つは、男子の夢精。もう一つは、排泄についてです。戦場の陣営こそは、神に共にいていただかなければならない場所です。その神の目からご覧になって不潔なことや不浄なことを、避けようとしています。
排泄の場所を決めるだけでなく、小さなくわをもって穴を掘り、そこへ排泄した後は、上に土を被せるように指示しています。

E主人のもとからあなたのところに逃げてきた奴隷を、その主人に引き渡してはならない。(15節)

 逃亡奴隷をかくまってやりなさいと言うのです。聖書の神は、弱者に暖かい神です。

Fイスラエルの女子は神殿娼婦になってはならない。イスラエルの男子は神殿男娼になってはならない。(17節)

 バアルやモレクなど異教の神殿には、神殿娼婦、神殿男娼がいたとのことです。そのような仕事に着くことを禁止しているのです。
 娼婦(遊女)自体は、イスラエルにもいて、ヤコブの息子ユダが遊女を装った嫁のタマルに誘惑されて寝た話が創世記に出ています。

Gどんな誓願のためでも、遊女のもうけや犬のかせぎをあなたの神、主の家にもって行ってはならない。(18節)
 神様に何か請願がある場合、請願のためにささげるものは、清いものであるべきだと言っています。「犬」とは神殿男娼の蔑称でした。売春でのかせぎをささげてはならないとの戒めです。

H金銭の利息であれ、食物の利息であれ、すべて利息をつけて貸すことのできるものの利息を、あなたの同胞から取ってはならない。(19節)   

Iあなたの神、主に誓願をするとき、それを遅れずに果たさなければならない。あなたの神、主は、必ずあなたにそれを求め、あなたの罪とされるからである。(21節)

 子どものいなかったサムエルの母ハンナが、シロの主の家で立てた誓願は、大変感動的なものでした。彼女は、「もし男の子を授けてくださったなら、その子の一生を主におささげします」と誓い、事実、息子サムエルが授かると誓いを果たして幼いサムエルを祭司のもとに送り、神殿で仕えさせました。
 サムエルはイスラエルの歴史の中でも、特筆すべき偉大な預言者となり、イスラエル初代の王サウルと、二代目の王ダビデを、神の言葉を受けて油をそそいだのでした。
   
J隣人のぶどう畑に入ったとき、あなたは思う存分、満ち足りるまでぶどうを食べてもよいが、あなたのかごに入れてはならない。(24節)

 畑に生っている物で腹を満たすのは、他人の畑のものでも許されるというのは、ありがたいおきてですね。今のように、いたるところにコンビニや自販機がない時代ですから、喉が渇いたときにぶどうを思い切り食べることができるのは助かります。
 同様の趣旨で、25節には、他人の麦畑でも、その穂を摘んで食べてよいというおきてが出ています。
 新約聖書には、イエス様が麦畑を歩いておられた時、弟子たちが麦を摘んで食べ始め、それを、パリサイ人が見咎めたエピソードが出ています。これはもちろん、パリサイ人は、イエス様の弟子が、他人の麦畑の麦を摘んだことではなく、安息日に「摘んだ」ことを咎めたのです。(マルコの福音書2章23節~25節)





posted by さとうまさこ at 00:00| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | Coffee Break | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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