2011年07月17日

Coffee Break319 実生活における諸問題(3)(申命記24章)




 ふたたび、実生活における諸問題に戻りましょう。

@人が新妻をめとったときは、その者をいくさに出してはならない。これに何の義務も負わせてはならない。彼は一年の間、自分の家のために自由の身となって、めとった妻を喜ばせなければならない。(5節)

 これは、申命記20章7節の兵役免除と同じです。新婚一年は、現在のイスラエルでも兵役免除だとか。至極当然でしょうか。思いやりのある政策でしょうか。

Aひき臼、あるいは、その上石を質に取ってはならない。いのちそのものを質に取ることになるからである。(6節)

 子ども時代、ご近所の古い家に、石の碾き臼がありました。石の臼にふたのような上石がはまるようになっていて、木の取っ手がついていてぐるぐる回すと、米がつぶれて粉になるのです。原理は、食卓で使う「ゴマすり器」みたいなものです。上石がなければ、ただの石のかたまりですから、役に立ちません。そのような大切なものを「質」(お金やものを貸す担保)にしてはいけないと戒めているのです。

Bあなたの同族イスラエル人のうちのひとりをさらって行き、これを奴隷として扱い、あるいは売り飛ばす者が見つかったなら、その人さらいは死ななければならない。あなたがたのうちからこの悪を除き去りなさい。(7節)

 誘拐は死罪であると、十戒の細則にも記されています。(出エジプト記21章16節)
 ただし、この時代は同族のイスラエル人を誘拐することを禁じています。人種を超えると、誘拐などはありふれたことだったのでしょうか。戦争で負けた側は、そっくり集団で捕囚に連れ去られたりしたのです。
 現代ではもちろん、どのような国の人であっても、敵国人であっても「誘拐」や「拉致」はあってはならないことです。十戒で戒めをくださった神様の救いは、イエス様の十字架以後、すでに全人類が対象になっているのです。

Cツアラアトの患部には気をつけて、すべてレビ人の祭司が教えるとおりに良く守り行なわなければならない。(8節)

 ツアラアトについては、レビ記(12章、13章、14章)にも、多くのページが割かれています。当時も、さまざまな病気があったはずですが、とりわけ皮膚に現れるツアラアトが恐れられたのです。これは、一時「ライ病」と誤訳され、ライの方を苦しめました。しかし、聖書をきちんと読むと、ツアラアトは、皮膚だけではなく、衣類やかばんなどの持ち物、家の中、家具や敷物、すべてに現れる異変です。当時は、この「カビのようなもの」と「皮膚病」全般をいっしょにし、その原因にも神罰のような意味づけをしたため、隔離される病気となりました。
 つぎの9節では、あなたがたがエジプトから出てきたとき、その道中で、あなたの神、主がミリヤムにされたことを思い出しなさい。(民数記12章参照)とあります。
 いずれにしても、一過性の皮膚病かツアラアトかは、祭司が見て判断しました。家の中や衣服や敷物などについても同じで、判断と処置は祭司がしたのです。祭司の治療で清くなった(治った)人はたくさんいましたが、治らない症例があり、恐れられたのでしょう。

 イエス様は、新約当時も、社会から蔑視され、置き去りにされていたツアラアトの者に触れて癒されました。


D隣人になにかを貸すときに、担保を取るため、その家に入ってはならない。(10節)

 このような規則の意味は、豊かな社会では想像がつかないですね。何かを貸して欲しいと頼んで、日用品なら貸してくれない人のほうが少ないでしょう。米を何合か借りたら、入ってきて、余分にあった石鹸をもって行くなんて話は考えられません。でも、極度に貧しい社会では、貸し借りに厳しい人がいたのでしょう。


Eもしその人が貧しい人である場合は、その担保を取ったままで寝てはならない。(12節)
 日没のころには、その担保を必ず返さなければならない。彼は自分の着物を着て寝るなら、あなたを祝福するであろう。また、それはあなたの神、主の前に、あなたの義となる。(13節)
 
F貧しく困窮している雇い人は、あなたの同胞でも、あなたの地で、あなたの町囲みのうちにいる在留異国人でも、しいたげてはならない。(14節)
 彼は貧しく、それに期待をかけているから、彼の賃金は、その日のうちに、日没前に支払わなければならない。彼があなたのことを主に訴え、あなたがとがめを受けることがないように。(15節)


G父親が子どものために殺されてはならない。子どもが父親のために殺されてはならない。人が殺されるのは、自分の罪のためでなければならない。(16節)
 これは、今では当然ですね。当時は、このような戒めも必要だったのでしょう。これはいわゆる連座の刑罰だけでなく、過剰報復を防止するためだったかもしれません。

H在留異国人や、みなしごの権利を侵してはならない。やもめの着物を質に取ってはならない。(17節)

 今とは違って、男性を中心とした家族に属していて初めて生活ができた時代、やもめ暮らしは、厳しいものでした。親のいないみなしごはもっと大変だったでしょう。そのような弱者を虐げたり、着物を取り上げたりするなんて、日本語で言う「血も涙もない」行為。神様が戒めておられるのは当然です。

I思い起こしなさい。あなたがエジプトで奴隷であったことを。そしてあなたの神、主が、そこからあなたを贖い出されたことを。だから、私はあなたにこのことをせよと命じる。(18節)

 人はだれでも、自分の過去を飾りたいものです。自分たちが奴隷だったなんて思い出したくありません。少し生活が良くなると、自分がつらかった時のことを忘れて人を見下げたりするのです。神はこのような「身の程知らず」を何よりきらわれます。

Jあなたが畑で穀物の刈り入れをして、束の一つを畑に置き忘れたときは、それを取りに行ってはならない。それは、在留異国人や、みなしご、やもめのものとしなければならない。あなたの神、主が、あなたのすべての手のわざを祝福してくださるためである。(19節)

 置き忘れた束で、腹を満たすことができる人がたくさんいた時代の人情ですね。それを人の気持ち任せにしないで、神の戒めとされるのがイスラエルの神様です。もちろん、そういう「忘れ物」は、神様がいつか、祝福で返してくださるのです。

Kあなたがオリーブの実を打ち落とすときは、後になってまた枝を打ってはならない。それは在留異国人や、みなしご、やもめのものとしなければならない。(20節)

 農産物はサラリーマンの給料のようにきちんと精算できませんね。収穫は、一番良い時期に大々的に行なうのでしょうが、必ず、そのあとから熟すものがあります。それをもう一度取りに行ってはならないというのは、「落穂拾い」と共通する考えかたです。

Lあなたは、自分がエジプトの地で奴隷であったことを思い出しなさい。だから、私はあなたにこのことをせよと命じる。(22節)

 神、主は、弱者に対する配慮を命じた後、重ねて、「あなたがたもエジプトで奴隷であった」と、思い出させています。これは、自分たちの親は奴隷であったとは、ぜったいに、思っていない現代の私たちには、どういう意味があるのでしょう。

 自分が罪人(つみびと)であることを、つい忘れて、人を咎める「身の程知らず」に対し、神様が注意を喚起されているのかなと、自分に当てはめてみました。







posted by さとうまさこ at 00:00| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | Coffee Break | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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