2011年07月18日

Coffee Break320 レビラート婚(申命記25章5節6節)

 


 兄弟がいっしょに住んでいて、そのうちのひとりが死に、彼に子がない場合、死んだものの妻は家族以外のよそ者に嫁いではならない。その夫の兄弟がその女のところに、入り、これをめとって妻とし、夫の兄弟としての義務を果たさなければならない。(申命記25章5節)

 このような聖書の記述は、かなり興味本位に取り上げられている一面があります。
 未亡人になった若い妻が、夫の弟と結婚するこの制度をレビラート婚と言いますが、これは、現代の自由な婚姻関係から見ると、不自然に見えるからでしょう。

 この結婚の背景には、やはり「家」とそれに付随する財産の問題があります。やもめになったときに、女性が夫の財産を継いで家を運営することはできたかもしれませんが、古代イスラエルでは、土地や財産は夫の家系のものなのです。

 聖書を読むとわかるように、イスラエル人にとって、土地は神からイスラエルの各部族に「相続地」として与えられたものです。部族、氏族に与えられた土地は、人間の都合でほかの者に移動してはいけないのです。イスラエル人以外に売るのは論外ですが、イスラエル人同士でも、部族に与えられた土地は部族以外の者に売ったり譲ったりできません。
 家に割り振られた土地も、ほかの者に売ってはいけないのです。だからこそ、「買戻しの権利」が決められていたのです。土地を売るのは耕作と収穫の権利を売るのであって、土地そのものは、ヨベルの年には、もとの持ち主に返さなければなりませんでした。それが、神の律法だったのです。


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 民数記27章で、マナセの一族のツェロフハデの家の娘たちが、モーセと祭司エリアザルに、自分たちの家に相続地がないのは不公平だと申し立てています。相続地は各家の男にあてがわれたものだったのですが、彼女たちには父親がすでに死んでいない上、男兄弟がいなかったので、割り当てから落ちこぼれてしまったのです。申し立ては認められ、彼女たちも相続地をもらいました。(Coffee Break242女性の相続参照)
 すると、今度は同じマナセ族のほかの家のものが意義を申し立てたのです。というのも、娘に土地を与えて、娘がマナセ族以外の男と結婚したら、マナセ族の土地が、ほかの部族に移ってしまう。それでは、彼らの父祖(マナセ)の相続地のいくらかは減ってしまうというわけです。

 この申し立ても認められました。モーセに下った主の命は次のようなものでした。
「ヨセフ部族の訴えはもっともである。ツェロフハデの娘たちは、その心にかなう人にとついでよい。ただし、彼女たちの父の部族に属する氏族にとつがなければならない。」(民数記36章5節6節) 

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 土地は神からその家に与えられたもので、それも男性が継ぐとの考え方でした。嫁いで子どもができる前にやもめになった女性は、婚家にいても、夫の財産を受け継ぐことはできないのです。子供があれば良いのですが、だれの子供でもよいわけではありません。夫の血筋であることが重要なのです。そこで、夫の弟が兄の妻の床に入り、子どもを作るのです。

 このようなことは日本の昔の農家でもあったようです。ただ、日本の場合は、儒教的な家制度を守るためですから、家や土地はそっくり弟が継いで、そこに兄嫁だった女性が居直る形です。けれども、イスラエルのレビラート婚では、兄の財産はあくまで兄のものなのです。兄嫁に男の子が産まれると、その子が兄の財産を継ぐことになるのです。じっさいには、どの程度厳格に相続したのかはわかりませんが、兄の名前を残していくというのが、日本の場合と違うのです。


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 レビラート婚の例として、ユダとその嫁タマルの話が取り上げられることが、よくあります。ユダの長子エルはタマルと結婚するのですが、子どもができる前に死んでしまいました。ユダは、その時、次男のオナンに「兄嫁のところに入って義弟としての務めを果たしなさい」と言うのです。オナンは父の命令なので兄嫁の床に入ったのですが、その子が自分の子どもにならないと知っていたので、じっさいは交わらなかったのです。
 それは、主を怒らせたので主は彼をも殺した。(創世記38章10節)のでした。
 
 この話は、ヤコブの時代(創世記)のものです。まだ、イスラエルがヤコブを中心に大家族としてあった時代で、カナンの相続地が絡んでいません。
 弟が、未亡人の兄嫁に子どもを与えるこのような習慣は、イスラエル社会、また、中東に古くからあったのかもしれません。

 今のように、ネットによる婚活もない時代、また福祉もまったくない時代、しかも、女性が独立して生計を立てることば不可能だった時代です。女の子はみんな結婚し、結婚した女は子供を作って初めて安定したのでしょう。そのため、たとえ、未亡人になっても、子どもを作らせようとしたのかもしれません。
 あるいは、この制度は、結局女性のためだったのでしょうか。
 

 そして、彼女が産む初めの男の子に、死んだ兄弟の名を継がせ、その名がイスラエルから消し去られないようにしなければならない。(6節)

 とはいえ、人間には、感情があります。もし、兄嫁の床に入らされる弟が兄嫁を好きでなかったら、気の毒というしかありません。





posted by さとうまさこ at 00:07| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | Coffee Break | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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