2011年07月19日

Coffee Break321 レビラート婚・ルツ記(ルツ記、申命記25章)





 聖書物語「ルツ」を書くとき、私の一番の課題は、社会的要請としてのレビラート婚と、個人の心をどう折り合わせるかでした。若い未亡人であるルツが夫の近親の男性と結婚して、夫の家(じつは夫の父親エリメレクの家)を立てなければならないのです。

 
 この物語は、飢饉でベツレヘムを離れ、モアブに移住したエリメレク・ナオミ夫婦の一家が題材です。モアブで夫が死んだあと、ナオミは二人の息子マフロン、キルヨンとモアブの娘とを結婚させるのです。しかし、不幸なことに、二人の息子も死んでしまいます。
 ナオミは、ベツレヘムの飢饉が去ったと聞いて、二人の嫁と帰郷しようとします。ただ、途中で、二人の嫁には親元に帰るよう促すのです。
 このあたりの心理的説明は聖書にはありません。ただ、モアブは異教徒であり、もともと結婚が禁じられている相手です。その点を、ナオミははばかったのかもしれません。ですが、長男の嫁のルツは、どうしてもナオミについてベツレヘムに行きたいと懇願します。

 帰郷したものの、すでに、モアブに行く前にエリメレクが土地を売って出ていたので、ナオミとルツには耕す土地もありません。困窮しているやもめ二人の生活は、しかし、ルツが落穂を拾いに出かけて姑との生活を立てるのです。

 落穂ひろいに出かけた先は、ボアズという裕福な人の農場でした。ボアズがエリメレクの縁戚に当たるのに気がついたナオミは、ルツをボアズと結婚させて、エリメレクの土地を買い戻してもらおうと考えるのです。

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 結果的に、ルツはボアズと結婚し、息子オベデが生まれ、ナオミの望みどおりエリメレクの土地も買い戻され、ナオミの老後は祝福されたものとなるのです。

 
 この物語は、とても美しく語られます。夫と息子を立て続けに失くした不幸な未亡人ナオミが、モアブ人の嫁に知恵を授けて、親戚のボアズと娶わせるのに成功するのですが、それを、批判的に評しているのを、あまり読んだことがありません。たぶん、エリメレクの土地を買い戻し、その名を回復することが律法にかなっているので、ナオミは、「神の御心に忠実に行動した正しい」女性として、評価されているのでしょう。

 けれども、じっさいに小説の中でナオミが行動するのにつきあっていると、どうにも不自然なところがあります。とりわけ、ルツをボアズの床に「夜這い」させる箇所につまずきます。当時のイスラエルでは、このような非常時には、女の方からでも「夜這い」があったのかもしれません。

 夜這いそのものは日本でも、地方によっては習慣としてあったので、今のようにレイプ、暴行といった位置づけではなく、男女が近づくために社会的に容認されていたとも考えられるのです。それにしても、ナオミがルツをボアズの所へ行かせたのは、少々勇み足でした。

 じつは、ボアズより先に、エリメレクの土地を買い戻す権利のある親戚がいたのです。若い娘に夜の暗やみの中でしがみつかれても、ボアズは冷静な紳士でした。自分より買い戻しの権利が上位の親戚がいるとルツを諭して帰します。

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 ルツを帰した翌朝、ボアズはエリメレクの土地に対して、優先順位が上の親戚と会います。彼は、快く土地を買い戻すことを了解するのですが、同時に、モアブ人ルツをめとらなければいけないと聞くと、買戻しの権利を放棄します。

「私には自分のために、その土地を買い戻すことはできません。私自身の相続地をそこなうことになるといけませんから。あなたが私に代わって買い戻してください。私は買い戻すことができませんから」(ルツ記4章6節)と言うのが理由です。

 私はこの箇所を、「この親戚の男性には、仲の良い奥さんとその子どもたちの安定した家庭があり、そこへもうひとり、娶るわけにはいかないと考えて辞退した」と解釈しました。あるいは、ルツがモアブ人だったことが理由かもしれません。いずれにしても、聖書はそこまではっきりとは、書いてはいません。
 
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 ルツの物語は、未亡人が子どもを作るために夫の近親者と結婚するという、たんなるレビラート婚ではなく、いったん手放した土地を親戚に買取ってもらうという「買戻しの権利」が、絡んでいるので少しわかりにくいのです。ともあれ、この少々危なっかしいナオミの試みは成功するのです。ナオミのいくつものつまずきにもかかわらず、神様はエリメレクの妻としてのナオミの立場を回復してくださるのです。その相続地と、相続地を継ぐ孫と、素直な嫁に囲まれて平穏な老後を送らせてくださるのです。

 何より、神様は、モーセのおきてが禁じたモアブ人との結婚さえ益に変えてくださり、イスラエルの礎(いしずえ)を打ちたてたダビデを、ルツとボアズの曾孫として下さるのです。ダビデの系図から、イエス・キリストがお生まれになるのです。

 ルツがなぜ、そのような重要な節目に用いられたのか、私は、この小説を書く間中、考えつづけたのでした。




 
posted by さとうまさこ at 00:00| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | Coffee Break | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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