2011年07月23日

Coffee Break325 ささげ物を食べるとき(申命記26章11節〜14節)




 あなたの神、主が、あなたとあなたの家とに与えられたすべての恵みを、あなたは、レビ人およびあなたがたのうちの在留異国人とともに喜びなさい。(申命記26章11節)

 第三年目の十分の一を納める年に、あなたの収穫の十分の一を全部納め終わり、これをレビ人、在留異国人、みなしご、やもめに与えて、彼らがあなたの町囲みのうちで食べて満ち足りた時、(12節)

 あなたは、あなたの神、主の前で言わなければならない。「私は聖なるささげ物を、家から取り出し、あなたが私に下された命令のとおり、それをレビ人、在留異国人、みなしご、やもめに与えました。私はあなたの命令にそむかず、また、忘れもしませんでした。(13章)



 申命記26章全体は、約束の地カナンに入ったとき、主が下さる多くの恵みに感謝し、主を賛美し、収穫の喜びを分け合いなさいと命じた箇所です。入植して生産活動に入ったら、収穫物の十分の一はささげるのです。
 また、三年に一度は、定められた年ごとの十分の一とは別に、レビ人、在留異国人、みなしご、やもめに与えるために、十分の一を納めることになっていました。


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 私は喪のときに、それを食べず、また汚れている時に、そのいくらかをも取り出しませんでした。また、そのいくらかでも死人に供えたこともありません。私は、私の神、主の御声に聞き従い、すべてあなたが私に命じられたとおりにいたしました。(申命記26章14節)

 レビ記には、さまざまな汚(けが)れについて、記されています。今の私たちに、何より理解が難しいのは、この「汚れ」ではないでしょうか。
 汚れは、社会生活をいろいろ制限したのです。隔離されたり、共同の祭りや食事から外されることもありました。

 食物規程で、汚れているとされる動物がたくさん上げられています。(レビ記11章、申命記14章) 汚れているとされている動物に触れたものも汚れました。また、食べても良い動物でも、食用として飼っている動物の死体に触れること。ツァラアトと呼ばれるさまざまな状態。女性の月経、出産。男性の夢精、漏出など、汚れの原因は数多くありました。死も汚れでした。

 とくに祭司は、ごく近い親族の死以外に近づいてはいけなかったのです。大祭司は父母の死にも近づいてはいけないと記されています。


 もっとも、死が汚れ(穢れ)であるという考え方は、日本にも古くからありました。葬儀の後に、塩が配られるのは、穢れを清めるためです。
 寺は葬儀に場所を貸すことがありますが、神社の境内では、葬儀はしないと言われています。
 
 日本の神事とイスラエルの祭司儀礼の多くが似ているとか。古代日本に、多くのユダヤ人が入ってきたという説もあるほどです。


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 ささげ物と汚れとを結び付けて、いろんな禁忌が出てきたのは、レビ記からです。偶像礼拝の禁止と同じで、シナイ契約以降のことです。
 創世記の中では、初めて神さまにささげ物をささげたカインとアベルを始め、ノアもアブラハムもイサクもヤコブも、しぜんに、素直に、犠牲をささげたようです。そこでは、後におきてとして禁じられるような汚れは、問題にされていません。
 
 ヤコブは、妻子としもべ、たくさんの家畜とともに伯父ラバンの家から逃走した時、追いかけてきたラバンと、和解することになり、動物をほふってささげ、「和解のいけにえ」を一族みんなで食べました。(創世記31章54節) その時、ヤコブの妻ラケル(ラバンの娘)は、「女の常のものの最中」と記事にあります。(31章35節) そのことが、いけにえを食べることに差し障ったとは書かれていません。


 それから、四百五十年後、出エジプト記の過ぎ越しの食事のときのおきてでは、割礼をしていない外国人、奴隷などは、割礼を受けてから食べることができると、命じられています(出エジプト記12章43節〜50節) 

 この時点で、神様は、ほふられた犠牲を食べることとと「汚れ」を、とくに、関連付けておられないのです。
 





posted by さとうまさこ at 00:00| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | Coffee Break | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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