2011年07月30日

Coffee Break329 祝福と呪いについて(申命記27章)




 歯医者さんで治療を受けていると、BGM代わりにラジオ放送が流れていました。ちょうど、ナデシコジャパンについて、パーソナリティが軽快に語っているところでした。
「ナデシコジャパンの優勝おめでとうございます。祝福を申し上げます」
 正確には少し言葉遣いが違っているかもしれませんが、「祝福」という言葉にちょっと驚きました。じつは、最近、ほかのラジオ番組でも聞いたことがあったのです。
 
 
 祝福は、もちろん、だれが聞いてもわかる日本語のようですが、以前は、教会以外では、あまり聞くことがありませんでした。教会で使う場合は、「祝福がありますように」「祝福を祈ります」などと使います。つまり、祝福して下さる方、祝福ができるのは、神様だと言うことです。人間は人のためにも自分のためにも、神様に祝福を祈り、願うだけです。

 聖書のなかでは、最初に神から「祝福する」と言われたのは、もちろん、最初の人間アダムとエバです。(創世記1章28節)
 つぎにノアです。洪水が引いて、箱舟から出てきたとき、主に感謝して祭壇を築き、全焼のいけにえをささげたノアを、神様は祝福してくださったのです。

 それで、神はノアと、その息子たちを祝福して、仰せられた。
「生めよ。ふえよ。地に満ちよ。(創世記9章1節)


 次に、神様の祝福を受けるのは、アブラハムです。
 これは、昨日のCoffee Breakで引用した創世記12章の最初のみことばです。

 あなたは、あなたの生まれ故郷、あなたの父の家を出て、わたしが示す地へ行きなさい。
 そうすれば、わたしはあなたを大いなる国民とし、あなたを祝福し、
 あなたの名をおおいなるものとしよう。
 あなたの名は祝福となる。(出エジプト記12章1節2節)


 その次は、アブラハムの息子イサクです。(創世記26章3節4節12節)
 イサクの息子ヤコブは、兄エサウから長子の権利と祝福をだまし取ったアクの強い人でした。人間的に見ると、良い人だとは思えないような行動をするのです。しかし、神のご計画は、はるか人の思い及ばないところにあったのでしょう。
 兄を恐れて、伯父のもとに逃走するヤコブに、神様が現れて彼を祝福して下さるのです。(創世記28章13節14節)
 

 ☆☆☆☆


 祝福は神様が下さることであるからと言って、私たち人間が、ほかの人を祝福していけないわけではありません。

 聖書では、人間が人間を祝福する場面も出てきます。アブラハムが戦いから戻ってきたとき、シャレムの王メルキゼデクは、パンとぶどう酒をもって出てきて、アブラハムを祝福しました。(創世記14章18節)
 また、イサクは死ぬ前に長男であるエサウを祝福しようとして、妻と息子ヤコブにだまされて、ヤコブに祝福を与えてしまいます。その後も、聖書の中では、祝福の例はたくさん出てきます。

 教会では、牧師が信徒を祝福します。洗礼式をはじめ、児童祝福式や成人式,結婚式など、進学や就職など、門出にある人たちに、かならず祝福が祈られます。日曜日の礼拝の最後に、牧師が会衆一同に向かって、「祝福がありますように!」と祈って宣言して下さるのを、「祝祷」と言います。クリスチャンはこの瞬間、「ああ、礼拝に来ることができてよかった! 今週も神様が共にいてくださるから、大丈夫!」と思うのです。
 また、信徒同士でも「祝福をお祈りします」と言います。ただ、クリスチャンが言う祝福は、祝福をなさるのは神様であるとの前提です。


 パーソナリティの方の言葉の使いかたは、教会とは少し違いました。ですが、彼が「ナデシコジャパンの優勝は、神様がくださったのですね」と言っておられるようで、私はちょっと嬉しくなったのです。

☆☆☆☆


 それでは、「祝福」の反対はなんでしょう。聖書では、「呪い」です。
 まず、アダムとエバが、エデンの園で、禁じられた木の実食べたあと、神様はアダムとエバをそそのかした蛇に仰せになります。
 
「おまえが、こんな事をしたので、
 おまえは、あらゆる家畜、あらゆる野の獣よりものろわれる」(創世記3章14節)


 アダムには次のように仰せになります。

「あなたが、妻の声に聞き従い、
 食べてはならないと
 わたしが命じておいた木から食べたので、
 土地はあなたのゆえにのろわれてしまった。
 あなたは、一生、
 苦しんで食を得なければならない。
 土地は、あなたのために、
 いばらとあざみを生えさせ、
 あなたは、野の草を食べなければならない。
 あなたは、顔に汗を流して糧を得、
 ついに、あなたは土に帰る。
 あなたはそこから取られたのだから。
 あなたはちりだから、
 ちりに帰らなければならない。」(創世記3章17節~19節)


 神様が「のろう」という場合、神様のさばきが宣告されることです。神様のさばきは、とても怖い気がしますが、一定の法則があります。神の掟や命令を守らないこと、神との契約に反することをする場合です。

 申命記27章28章には、どのような場合に呪われるのか、どうすればどのような祝福があるのかが述べられています。 

 静まりなさい。イスラエルよ。聞きなさい。きょう、あなたは、あなたの神、主の民となった。(申命記27章9節)
 あなたの神、主の御声に聞き従い、私がきょう、あなたに命じる主の命令とおきてとを行いなさい。(10節)


 このあと、どのような場合に、「のろわれるのか」が、列挙されていますが、それについては、明日。






posted by さとうまさこ at 00:00| 東京 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | Coffee Break | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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