2011年07月31日

Coffee Break330 祝福とのろい(申命記27章15節〜26節)




 たとえば、人からお札やお守りをもらった時に、始末に困ることはないでしょうか。別に、その神社の神様を信じていなくても、捨てるとなると、おろそかにできません。
 正月の松飾りなどを、まとめて神社の境内で燃やしたりするのは、それが神道のまつりごとにかかわる縁起物だからです。
 もはや、そんなものは迷信だという若い人たちが、テレビであやしげな占い師が「守護霊」「背後霊」だの、「先祖のたたり」だのと言うのを聞いて、「そうかなあ」と心がゆらぐのです。
 頭では、神の存在や霊の世界など信じていないと言いながら、心では霊の世界におびえている人は、案外多いのです。しかも、信じていない人が感じる霊の世界は、かえって、そのよって来るところがわからず、いかがわしいのです。
 日本人にも「のろい」の感覚は理解できます。それ以外に、「たたり」「さわり」「とりつく(憑く)」「汚れ」など、霊を恐れることばがあります。

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 日本人にとって、のろいは、ワラ人形に五寸釘を打つ女の姿に象徴されるでしょう。わら人形をうらみのある相手に見たてて、「のろいながら」そのからだに釘を打ちこむのです。これは人に知られてはならないので、大体、真夜中に、寺や神社の人気のない境内などで行なわれます。そのような、場所で恨みのために髪振り乱している女を考えただけで、身の毛がよだちます。もし、あなたの恋人の「昔の恋人」が、あなたを恨んでわら人形に釘を打ち込んでいるとわかったら、案外平然とはしていられないのではないでしょうか。そこで、「御祓い」「きよめ」「悪霊追い出し」をするという「業者」の出番になります。

 たたりは、もっと怖いですね。たたりは、およそあらゆる生き物が行える復讐です。人を殺すのはもちろん、犬でも猫でも池の鯉でも、きつねでも、たぬきでも、祟るのです。これは殺された霊が祟るようですから、輪廻転生の考えからきたものでしょう。

 「とりつく(憑く)」というのもあります。霊が取りついて、狂ったようになったりすることです。
 私が子供のときに聞いた近所のおばあちゃんの話では、そのおばあちゃんのおばあちゃんが蛇に取り付かれることが、何度もあったそうです。蛇がのり移ると、ふだんは動作も鈍いようなおばあさんが、太い柱をスルスルと蛇のように上り、上にある神棚の上に横たわります。昔のことなので、大きな神棚がしっかり取り付けてあったのでしょうが、その神棚がおばあちゃんの重みで、たわむほどだったとか。「御祓い」の人に来てもらって、お祓いをしてもらうと、おばあちゃんは柱を伝って下りてきて、付き物が落ちたようにけろりとしていたそうです。
 このテの話は、たいていは、「だれかから聞いた話」になっていますから、真偽のほどはわかりません。
 でも、その頃はこちらも子どもですから、そうかなあ、怖いなあと思って、見たこともない薄暗い田舎家で、蛇に取り付かれたおばあさんを思い浮かべたものです。

 さわりや穢れは、もう少しレベルの高いもの、神とも言うべき霊に対する恐れだったようです。たとえば、生理中に神社に行くのは、日本でも避けていたと思います。そういう禁止を犯すのを「さわる」と言うのです。
 私の記憶では、仏壇に他家の位牌を入れることなども、はばかられていました。
 地震や火事でとつぜん逃げ出す時、今なら、保険証ナンバーとか、銀行のキャッシュカード、常用の薬などを持ち出しますが,数十年前までは、「ご先祖の位牌」と言う人がけっこういたのです。持ち出したものの、位牌となるとどこに置いていても良いとは行きません。何処かの家に避難しても、その家の仏壇に同居させてもらうなんて、とんでもない!です。「さわり」があるからです。

 穢れについては、言うまでもないでしょう。葬儀から戻ってきたときに塩で清めたり、神社に入ったところで、水で手を洗うのは、穢れを清めるためです。

 霊の世界は、この繁栄の日本で先端技術や合理主義思考の彼方に埋れたかのように思います。ところが、この時代、占い市場は隆盛を極めているようです。同時に、この盛大さに自称・霊媒師・呪術師。スピリチュアル★★師。さまざまな新興宗教、宗教まがいのものが群がります。

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 聖書は、人間を創造してくださった神が、罪を犯して神の守りの外に出てしまった人類をどのようにふたたび、御許に戻してくださるか(救ってくださるか)について書かれた、壮大な「救いの物語」です。そこでは、天地を創造された全知全能の神が、唯一の神として主権をもっておられます。やがて、ご自身が救い主イエス様となって、十字架で血を流し、さらによみがえって、救いを実現してくださったのです。


 聖書の中でも、のろいは語られます。昨日も見た箇所、アダムとエバ,蛇、カインに対してだけでも、神様はのろいを宣告しています。しかし、聖書では、のろいは、神のおきてに従わなかった者への、神のさばきです。やたら神秘的だったり、執拗だったりするのではありません。
 
 申命記27章15節から、のろわれるケースが列挙されています。26節まで、全部並べて見ましょう。
 ひどく神秘的なもの、守るのが難しいものがあるでしょうか。


「職人の手のわざである、主の忌みきらわれる彫像や鋳像を造り、これをひそかに安置する者はのろわれる。」民はみな、答えて、アーメンと言いなさい。(申命記27章15節)

「自分の父や母を侮辱する者はのろわれる。」民はみな、アーメンと言いなさい。(16節)
 
「隣人の地境を移すものはのろわれる。」民はみな、アーメンと言いなさい。(17節)

「盲人に間違った道を教えるものはのろわれる。」民はみな、アーメンと言いなさい。(18節)

「在留異国人、みなしご、やもめの権利を侵す者はのろわれる。」民はみな、アーメンと言いなさい。(19節)

「父の妻と寝る者は、自分の父の恥をさらすのであるから、のろわれる。」民はみな、アーメンと言いなさい。(20節)

「どんな獣とも寝る者はのろわれる」民はみな、アーメンと言いなさい。(21節)

「父の娘であれ、母の娘であれ、自分の姉妹と寝る者はのろわれる。」民はみな、アーメンと言いなさい。(22節)

「自分の妻の母と寝る者はのろわれる。」民はみな、アーメンと言いなさい。(23節)

「ひそかに隣人を打ち殺す者はのろわれる。」民はみな、アーメンと言いなさい。(24節)

「わいろを受け取り、人を打ち殺して罪のない者の血を流す者はのろわれる。」民はみな、アーメンと言いなさい。(25節)

「このみおしえのことばを守ろうとせず、これを実行しない者はのろわれる。」民はみな、アーメンと言いなさい。(26節)








posted by さとうまさこ at 00:00| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | Coffee Break | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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