2011年08月04日

Coffee Break334 祝福の前提(申命記28章14節〜20節)




 申命記28章1節から13節に見る「祝福」は、なんとすばらしいことでしょう。どこへ行って何をしても成功し、仕事は順調に広がり、豊かになり、家族はふえ、世間からは尊敬を受ける。かりに、敵対してくる人がいても、あなたにはかなわなくて、ほうほうの体で逃げていく──。豊かなので、人に貸したり、人の世話をする側になっても、借りる側にはならない。

 神さまがひとたび、祝福してくださると、まさに行くところ敵なし、挫折も悲しみも近寄らないのです。
 何しろ、天地万物を創造された神さまです。私たちのいのちも地上のすべてのいのちも、生み出してくださった方です。海の水を分けて、イスラエルの民六十万人に乾いた海の底を通らせてくださったのです。マナを降らせ、岩から水を出し、大量のうずらを飛来させることがお出来になる方です。
 「かごやこね鉢を祝福する」など、小さなことです。天を開いて、恵みをくださるのも簡単ではないでしょうか。


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 あなたは、私が、きょう、あなたがたに命じるこのすべてのことばを離れて右や左にそれ、ほかの神々に従い、それに仕えてはならない。(14節)

 神からのさまざまな祝福を述べた後、モーセはふたたび、民に、自分たちをエジプトから救い出し、シナイで契約を結んでくださった神、主に従順であるよう、ほかの神々に従うようなことがないよう言い聞かせます。

 もし、あなたが、あなたの神、主の御声に聞き従わず、私が、きょう、命じる主のすべての命令とおきてとを守り行なわないなら、次のすべてののろいがあなたに臨み、あなたはのろわれる。(15節)

 あなたは町にあってものろわれ、野にあってものろわれる。(16節)
 あなたのかごも、こね鉢ものろわれる。(17節)
 あなたの身から生まれるものも、地の産物も、群れのうちの雌羊ものろわれる。(18節)
 あなたは、入るときものろわれ、出て行くときにものろわれる。(19節)


 「のろい」になると、すべて、祝福の結果と、正反対になります。

 どこに住んでものろわれ、収入がなく、消費を楽しむことはできない。一所懸命働いて生活を作ろうとしても、子どもも思うように育たず、収穫もはかばかしくなく、せっかく生まれた雌羊も死んでしまうと言った具合です。
 外で、良いことがないので、肩を落として帰宅し、家ではまた争いや悩みがあるので、明るく笑って出かけることもできません。
 そして、ついには、滅ぼされてしまうと言うのです。
 
 主は、あなたのなすすべての手のわざに、のろいと恐慌と懲らしめとを送り、ついにあなたは根絶やしにされて、すみやかに滅びてしまう。これはわたしを捨てて、あなたが悪を行なったからである。(20節)

 主は、疫病をあなたの身にまといつかせ、ついには、あなたが、入っていって、所有しようとしている地から、あなたを絶滅させる。(21節)


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 お寺や神社で、立札を立てて、「霊験」を列記しているのを見ることがあります。安産、病気快癒、良縁、財政運、その他いろいろなことに、「効能がある」神さまというわけです。さらに、霊験、ご利益のために、お祓いや祈願をしてくれるところもあります。
 しかし、ここに、「もし、あなたが、この神に従わないならのろいを置く」とでも書いたら、たぶん、まもなく、そこには参詣客はいなくなるのではないでしょうか。
 私たちの国には、神さまはたくさんいらっしゃるのですから、何も、そんな「難しい」神さまのところへ行かなくてもよいわけです。
 
 「さわらぬ神にたたりなし」と言うことばがあります。これは、神さまに「難しさを感じた」ときに言う言葉だったのかもしれません。自分たちが欲しいのはご利益です。求める時に自分に都合の良いことをしてくださる神様です。けれども、神様には、どこか厳しいところもおありになると、どこかで感じているのではないでしょうか。それで、そのような「厳しい神様」に対しては、近づいてはいけないと用心するのです。
 誰も、神様の前で正しいと言いきれる自信がないからです。

 でも、さわらないつもりでも、近づかないつもりでも、天地万物を創造された神様は、すでに私たちに触れてくださっているのです。私たちはみんな、神様によって造られたからです。
 

 





posted by さとうまさこ at 00:45| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | Coffee Break | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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