2011年08月14日

Coffee Break344 決別の歌(申命記32章1節〜43節)




 申命記32章は いわばモーセの遺言詩です。モーセは自分の死後、民が神にそむくことが、よほど気がかりだったのでしょう。なんども何度も同じ演説を繰返したあと、最後に、神をたたえ、民を戒める歌を、民の全集会に聞かせたのです。


  天よ。耳を傾けよ。わたしは語ろう。
  地よ。聞け。私の口の言葉を。
  私のおしえは、雨のように下り、
  私の言葉は、露のようにしたたる。
  若草の上の小雨のように。
  青草の上の夕立のように。
  私が主の御名を告げ知らせるのだから、
  栄光を私たちの神に帰せよ。
  主は岩。主のみわざは完全。
  まことに、主の道はみな正しい。
  主は真実の神で、偽りがなく、
  正しい方、直ぐな方である。  (申命記32章1節〜4節)



 この第1パラグラフを読むだけで、モーセの神への思いの深さと強さがわかります。「栄光は・・・」から、「直ぐな方である」との言葉は、そのまま、現代のクリスチャンの神への信頼と重なるものです。
 聖書は、人間的な歴史時間を飛び越えて、変わらない真実を私たちに語りかけてくれる、と改めて思うところです。


  主をそこない、
  その汚れで、主の子らではない、
  よこしまでまがった世代。
  あなたがたはこのように主に恩を返すのか。
  愚かで知恵のない民よ。
  主はあなたを造った父ではないか。
  主はあなたを造り上げ、あなたを堅く建てるのではないか。
  昔の日々を思い出し、
  代々の年を思え。
  あなたの父に問え、
  彼はあなたに告げ知らせよう。
  長老たちに問え。
  彼らはあなたに話してくれよう。
  「いと高き方が、国々に、
  相続地をもたせ、
  人の子らを、振り当てられたとき、
  イスラエルの子らの数にしたがって、
  国々の民の境を決められた。
  主の割り当て分はご自分の民であるから、
  ヤコブは主の相続地である。    (5節〜9節)



 第二パラグラフでは、モーセの視点は一転、イスラエルの民に向けられます。

 イスラエルの民は、神の数々の奇蹟とともにエジプトから連れ出していただき、荒野を旅してきたのです。カナンの土地を戦い取るのはこれからですが、神のお約束どおり、カナン入りは確実でしょう。しかし、カナンの先住民は、異教の神々を祀るものたちです。民が、モアブで失敗したように、ほかの神々に引かれて神を怒らせる可能性はとても高いのです。
 モーセは、相続地に入るイスラエルの民の背信と忘恩、ほかの神々への礼拝、その結果としての神の怒りを警告しています。このくどさには、驚かされますが、しかし、聖書をこれから先、読んでいけばモーセの心配が杞憂でなかったことがわかるのです。

 この詩は、1節から43節まで続く長いものですが、ことばが切実で、読み応えがあります。続きは、明日・・・。
 




 聖書は新改訳聖書を使っています。









posted by さとうまさこ at 00:07| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | Coffee Break | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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