2010年08月29日

Coffee BreakE 高価で尊い


 神は仰せられた。「さあひとを造ろう。われわれのかたちとして、われわれに似せて、かれらが、海の魚、空の鳥、家畜、地のすべてのもの、地をはうすべてのものを支配するように」(創世記1章26節)
 そう決意された神は、人をちりから形造り、鼻からいのちの息を吹き込まれた(2章7節)のです。

 生まれたばかりの赤ん坊を見ると、誰でも畏敬の念に打たれます。小さい、可愛い、あどけない。そういうことばは、文字通り、小さい、かわいい、あどけない、ものへの賛嘆の気持ちでしょうか。犬や猫の子どもだってかわいい。カブトムシの幼虫だって「かわいい」という人もいる。でも、ひとの赤ちゃんはたしかに、見かけのかわいさをほめているのではない。なにか、犯しがたい威厳、清らかさ、可能性を感じさせるのです。
 もちろん、赤ちゃんよりいくらか大きくなった子どもでも、中高生でも、大人でも、病気の人でも、からだが不自由になっても、人には不思議な威厳があります。不思議な能力があります。
  

 神は人をご自身のかたちとして創造された。神のかたちとして彼を創造し、男と女とに彼らを創造された(1章27節)
 神は彼らを祝福された。神は彼らに仰せられた。「生めよ。ふえよ。地を満たせ。地を従えよ。海の魚。空の鳥、地をはうすべての生き物を支配せよ」(1章28節)


 初めて、ここを読んだとき、私は、ひとのようなかたちをした神の姿を思い浮かべました。神様にも、目鼻があり、手足があり、そして、両手を広げて私たちに何かおっしゃっているような姿です。
 もちろん、神様ですから、どの人間より見目かたちはうつくしく、りっぱで、神々しさに輝いています。その神様が、右手を上げて、どんな素晴らしい役者でも出せないような厳かな声で、「地をはうすべての生き物を支配せよ」と言われている姿。

 ある日、これは大きな間違いだったと気がついたのです。
 神様が私たちに似ているとは、どこにも書いていない。私たちが「神様に似せて」と書かれている・・・! 
 神様が主役だとわからなかったときのことです。
 私たちは、神様の姿かたちなどわからないのです。でも、神様は、ご自分に似せて人を造って下さったのです。どこを似せて造られたのでしょう。

 
 わたしは犬や猫が大好きです。子供のころは、ジョンと言う名前の犬が──雑種の茶色い犬でしたが──、うちにいて、ほんとうに賢くて可愛くて家族の一員、五人兄弟の六番めのように、いっしょに暮らしていました。猫もたくさん飼いました。どの猫も、いっしょにいるときは、家族でした。人間のことばもわかれば、我を通して色々やっかいなことをしでかして、その後始末をするときでさえ、家族なんだからと思いました。
 彼らは、いつもわたしになつき、わたしが呼ぶと走ってきて、わたしが撫でると幸せそうに尾を振ったり、目を閉じたりするのです。
 子どもだったわたしは、自分たち人間はじっさい、なんと、犬猫に似ているんだろうと思いました。ちゃんと、手足があるし、目鼻もついているし、耳もあれば、口もあって、嬉しいときには嬉しそうだし、叱られると悲しそうだし。違いは、彼らが全身毛で覆われている事、尾っぽがあること、四つんばいであること。手を使わず物を食べること。

 さて、神様はわたしたちを神のかたちに似せて造られました。
 神のかたちとはどのようなものでしょう。

 聖書のなかでは、「初めに、神は天地を創造した」ような方です。これだけで、神が人間のようなかたちではないことがわかります。どれほど巨人であっても宇宙万物を創造するほど大きな巨人はありえません。
 じっさい、神が土木工事のようなことをされたとは、どこにもありません。
 神はおおせられた。のです。
 「ひかりがあれ。」「大空が水の真っただ中にあれ。水と水との間に区別があれ。」「天の下の水が一所に集まれ。かわいた所が現れよ。」そのようになった。のです。

 神はすがたをもたない存在。見えないけれど、万能の力と権威をもっていて、何でもできる方。人間の想像をはるかに超えた方らしいと思わざるをえません。

 神は霊です。私たちが神に似せて造られたというのは、神の霊的な部分をいただいたということです。神はご自分の愛の対象として、ご自分と対話するものとしてわたしたちを造られたのです。わたしたち人間は神を礼拝するように造られているのです。だから、どこの国のどんな民族であっても、僻地や山奥にすむ小さな部族であっても、宗教をもっています。

 学びによって、このような解説を知るまでは、私は、それに気がつきませんでした。──おすすめサイト(ペンテコステ宣教学・やさしい神の国講座参照)
 どんなにかしこくて可愛くて、家族の一員であっても、動物は神さまを拝むことはないでしょう。

 人間だけが、なにか威厳があり、たがいに憎みあったり喧嘩をしているときであってさえ、相手に見えない何かを感じます。
 人間だけが、神さまに似せて造られているというのは、とても特別なことです。
 人間だけが、神さまと同じ霊的なかたちをもち、神さまと会話できるとは。


 わたしの目には、あなたは高価で尊い。(イザヤ43章4節)
 
 有名なこのことばは、このような事実があるから、心に響いてきます。


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posted by さとうまさこ at 06:35| Coffee Break | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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