2010年09月05日

Coffee BreakL 天地創造の神の性質・愛と聖


 神のご性質について、念を入れておきたいと思います。
神に背いたということで、楽園から追放するなんて少し厳しすぎる。いくら神は唯一絶対の権威をもっているといっても、違反すれば厳罰を下す「怖い」存在なのと、聞く人がいます。

 
 神は創造者であると、何度も書きました。人間は被造物に過ぎない。でも、人間は神にとって特別な被造物だったと。なぜなら、人は神の愛の対象として、神とお話ができるように特別な「心をもった」生き物として造られたのだから。

 そのような「愛の神」がどうして、楽園追放というような厳しい罰を下したのか。
 それは、神のもう一つの性質「聖」(きよさ)を認識しないとわかりません。
 神はとても聖い方です。違反や不正を激しく憎まれるのです。愛にせよ聖にせよ、神の持つパワーは限りなく強く大きいものです。
 それで、神が怒り、悲しみ、憎むとき、そのパワーも強いのです。

 ここで、このブログのおすすめサイト、ペンテコステ宣教学・やさしい神の国講座(神の国の大河ドラマ)から、簡潔で行き届いた説明をお借りすることにします。



 罪を犯してしまった人間を、神がご自分の前から追放されたのは、 神の聖さだけではなく、愛の性質のためでした。
 神の絶対の聖さは、汚れたものが近づくと、それを焼き尽くさないではいないからです。それはちょうど燃え盛る火のようです。(ヘブル12:29)
 燃え盛る火に飛び込んでくる虫は、一瞬のうちに焼き尽くされてしまうように、絶対に聖い神に罪あるものが近づくと、たちまち焼き滅ぼされてしまうのです。
 そこで神はその愛の性質のために、罪を犯した人間がご自分に近づいて滅んでしまわないように、ご自分の前から追放し、もどって来られないように、厳重な警戒を敷かれたのです。そのようにした上で、神は人間に救いの道を準備してくださったのです。(創世記3:23−24) 



 私たち人間は、神の聖さを、意識しないでも知っているのではないでしょうか。ですから、どんな人にも、「良心」というものがあります。神の聖さに、自分を照らして見る本能があるのです。だから、なかなか「正しく」生きられないことに、苦しみます。平気な顔をしている人でも煩悶します。

 私の愛犬ジョンは、とても忠実でした。教えられたことは良く覚え、守りました。悲しそうにしているときもありました。でも、煩悶しているようには見えませんでした。そもそも「良心」に照らして何かを判断するような「本能」に欠けていたからです。古くから言われているように、人間は「万物の霊長」です。




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posted by さとうまさこ at 05:10| Coffee Break | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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