2010年10月08日

Coffee Break46 井戸を見つけたハガル



 16章でハガルがイシュマエルを生んだとき、アブラムは八十六歳でした。次の17章で、アブラムが九十九歳のとき、主はアブラムに、「サラが男の子を産む」と仰せになって、翌年、イサクがうまれるのです。この十三年間のアブラハム、サラ、ハガルについては、聖書に記録がありません。
 サラにいじめられて、一時的に家出をしたハガルですが、アブラムのもとに帰り、子どもを産みました。その後は、サライとの確執があったとしても、アブラムの一人息子の母親として、アブラハムの家で確固とした地位があったのではないでしょうか。

 サラもある程度、その立場を認めなければいけなかったでしょう。



 ある日の午後、主の使いがマムレの木のそばのアブラハムの天幕を訪れて、
「サラには来年男の子ができている。」と予言したのです。
 うしろの天幕の中で、それを聞いたサラは、笑ったのです。


「老いぼれてしまったこの私に、何の楽しみがあろう。それに主人も年寄りで。」(18章10節)

 主が、サラの心を見られて、「なぜ、笑うのか。」と咎められたとき、サラは怖しくなって、「私は笑いませんでした。」と打ち消しました。サラ自身が、子どもをもつ可能性など、まったく信じていなかったという描写です。

 ところが、21章でサラは、主の約束どおり、みごもり男の子を産んだのです。イサクの誕生です。
 サラがどんなに誇らしく、喜んだかは、21章の6節7節に書かれています。
 
 自分に子供がいれば、正妻サラにとって、ハガルとイシュマエルは目障りな存在です。なぜ、奴隷女とその息子に我慢しなければならない! そんな気になったのでしょう。

 イサクが乳離れの日の祝宴で、イシュマエルが弟をからかっているのを見たサラは、夫に言ったのです。


「このはしためを、その子といっしょに追い出してください。このはしための子は、私の子イサクといっしょに跡取りになるべきではありません。」(10節)

 サラがイシュマエルとハガルを14年間、いやいやながら受け容れていたのがわかります。我慢できない存在だけれど、自分が子どもを生めないのだから仕方がない! そんなところでしょうか。

 イサクを産み、無事乳離れするまでわが子が育ったのを見たとき、そのような我慢に限界がきたのでしょう。
 イシュマエルがどのようなからかいをしたのかは、書かれていませんが、アブラムは、自分の子のことなので、非常に悩んだ。ところを見ると、何が何でも追放しなければいけないほどの、悪質なものではなかったでしょう。

 ハガルとイシュマエルは、翌朝早く、追い出されるのです。アブラハムが彼らに持たせたのは、パンと水の皮袋だけでした。
 ハガルと子どもは、ペエル・シェバの荒野をさまよい歩くことになります。やがて、パンも水も尽きました。二人は、荒野で、餓死するしかないところまで追い詰められていました。


 皮袋の水が尽きたとき、彼女はその子を一本の潅木の下に投げ出し、(15節)
 自分は、矢の届くほど離れた向こうに行ってすわった。それは、彼女が「私は自分の子どもの死ぬのを見たくない」と思ったからである。それで、離れてすわったのである。そうして、彼女は声を上げて泣いた。(16節)


 子どもイシュマエルも泣いていたのでしょう。

 神は少年の声を聞かれ、神の使いは天からハガルを呼んで言った。「ハガルよ。どうしたのか。恐れてはいけない。神があそこにいる少年の声を聞かれたからだ。(17節)
 行って、あの少年を起こし、彼を力づけなさい。わたしはあの子を大いなる国民とするからだ。」(18節)

 神が、ハガルの目を開かれたので、彼女は井戸を見つけた。それで行って皮袋に水を満たし、少年に飲ませた。(19節)


 とても意味深く、感動的な場面です。ハガルの目が開けたとは、じっさいの視力のことではなくて、心の目でしょう。神が母子を気にかけてくださったのを知った時、ハガルの心の目が開かれたのです。神は、かつて、ハガルが荒野をさまよったときにも現れてくださいました。神に信頼してまわりを見回したとき、ハガルは井戸を見つけることができた・・・。(目が開かれると言うことについて、聖書には他にもとても興味深いお話が載っています。列王記U6章8〜18もお読みください)

 この場面は、そのまま、現代の私たちの生き方にも、適用できそうです。


 荒れ野でパンも水も尽きて、もうだめだと力尽きてしまう。その時、神が声を掛けてくださる。目を開いてくださる。
 神の愛は大きく、あなたがクリスチャンでなくても、この愛は体験できるのです。聖書の主役・天地創造の神様は、もちろん、後にイエス・キリストとして、地上に降誕してくださるのですが、その二千年も前に(今から四千年も前にも)、ハガルやイシュマエル、アブラハムやサラに現れてくださったのです。

 図書館の棚に並んでいる自己啓発の本を、たくさん読むより、聖書のこの箇所は、私たちを力づけてくれないでしょうか


 それにしても、そもそも、どうして、神はハガル母子にこんな困難をお与えになったのかと、疑問に思われるでしょうか。
 サライがアブラハムにハガルを勧める前に、サラに子どもが与えられていたら、こんな問題は起きなかったではないか。

 それについては、明日、考えてみたいと思います。




【関連する記事】
posted by さとうまさこ at 04:00| Comment(0) | TrackBack(0) | Coffee Break | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。
※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

この記事へのトラックバック
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。