2010年10月09日

Coffee Break47 イサクをささげる




 アブラハムの人生は、神の選びの人にふさわしく、祝福されたものでした。
 ハランから召し出された出されたアブラムは、財産を増やし、人助けをし、井戸を掘り、祭司に贈り物をする、名実ともに豊かな族長になっていきました。
 百歳になって、九十歳の老いた妻サラから子どもを得たことは、とりわけ、神の祝福の現われだったでしょう。彼の人生は、最後のピースがぴたりとはまったジグソーパズルのように、完成したかに見えました。

 ところが、神には、その後のご計画があったのです。



 ある日、神はアブラハムを呼び出し、「あなたの子、あなたの愛しているひとり子イサクを連れて、モリヤの山に行きなさい。そして、わたしがあなたに示す一つの山の上で、全焼のいけにえとしてイサクをわたしにささげなさい。」(22章2節)

 翌朝早く、アブラハムはろばに鞍をつけ、ふたりの若いものと息子イサクとをいっしょに連れて行った。彼は全焼のいけにえのためのたきぎを割った。こうして彼は、神がお告げになった場所に出かけていった。(3節)

 アブラハムは全焼のいけにえのためのたきぎを取り、それをその子イサクに負わせ、火と刀とを自分の手に取り、ふたりはいっしょに進んで言った。
 イサクは父アブラハムに、はなしかけて言った。
 イサクは尋ねた。「火とたきぎはありますが、全焼のいけにえのための羊は、どこにあるのですか。」(7節)
 アブラハムは答えた。「イサク。神ご自身が全焼のいけにえの羊を備えてくださるのだ。」こうしてふたりはいっしょに歩き続けた。(8節)

 ふたりは神がアブラハムに告げられた場所に着き、アブラハムはその所に祭壇を築いた。そうしてたきぎを並べ、自分の子イサクを縛り、祭壇の上のたきぎの上に置いた。(9節)
 アブラハムは手を伸ばし、刀を取って自分の子をほふろうとした。(10節)
 そのとき、主の使いが天から彼を呼び、「アブラハム。アブラハム」と仰せられた。彼は答えた。「はい。ここにおります。」(11節)
 御使いは仰せられた。「あなたの手をその子に下してはならない。その子に何もしてはならない。今、わたしは、あなたが神を恐れることがよくわかった。あなたは、自分の子、自分のひとり子さえ惜しまないでわたしにささげた。」(12節)



 あまりにも有名な場面です。聖書のこの言葉少ない説明が、かえって緊迫感をかもしだしています。
 「あなたの一番印象に残る聖書名場面はどこですか」と募集したら、たぶん、一位になるのではないでしょうか。ノアの箱舟(創世記6章〜9章)、バベルの塔(創世記11章1節〜9節)も絵になります。出エジプト記の葦の海が割れる場面(出エジプト記14章)、モーセが神から十戒をいただく場面(出エジプト19章〜20章)も、ダビデがゴリアテを倒す場面(第一サムエル記17章)も、エリヤがたつ巻とともに天に上げられる(第二列王記2章11節)のも、印象的ですが、わたしはイサクがほふられる瞬間、み使いが現れてアブラハムをとめるこの箇所を、推薦です。
 あなたも、好きな場面を思い起こしてみてください。
 なお、これは旧約聖書だけで考えています。新約聖書の印象に残る場面となると、言うまでもないと思うのです。


☆ ☆ ☆

 神から、イサクを全焼のいけにえとしてささげるように命じられたアブラハムは、すぐさま実行に移し、モリヤの山に向かうのです。三日間もの行程でした。その間、彼がどのような様子であったのか、何を思っていたのか、一切書かれていません。
 十人もの息子の一人ではありません──もちろん、たくさんいる息子のひとりだとしても、父親としてはたきぎの上で焼き殺せるものではないでしょう。
 神に召し出された日から、二十五年も経って、老いた夫婦からやっと生まれたひとり息子です。もうひとりの息子イシュマエルを追い出しても、跡取りとして残した子どもです。

 アブラハムの心の奥底に耐え難い痛みがあったとしても、アブラハムは、悲しみや煩悶を神に向けることはしませんでした。「私には子どもがいません。」「子孫が星の数のようになると言う証拠を見せてください。」
 かつて、アブラハムは、神の約束に対し、お訊ねしました。それに対し、神に命じられて用意した三頭の動物と、はとの親子を切り裂いて捧げたその犠牲を、神はかまどの火で焼いてアブラムと契約をして下さいました。
 そのようなことが、脳裏を去来していたかもしれませんが、アブラハムは黙々と旅を続け、モリヤの山に着きました。

 アブラハムは、神の言葉を絶対に信頼する信仰で、すべてを超えたのです。自分の子どもと、神の命令を秤にかけるような気持ちは、毛頭なかったのです。
 神が最初アブラハムを召し出されたときから、なんども、顕現してくださって、その神様との交わりの中で、アブラハムの信仰は高められていたのです。自分が百歳、妻が九十歳になってから、イサクが授かったことは、よろこび以上に、神への畏れを彼に植え付けたのです。神に不可能はない!  神は絶対的な権威をもっておられる。


☆ ☆ ☆ 

 アブラハムの信仰を高め、強めるために神はイサクの誕生を遅らせておられたのでしょう。待ち望み、忍耐強く待ち、試練に耐えさせ、そうして、アブラハムの信仰を、鋼のように鍛え上げられたのでした。

 それでも、アブラハムは、もう一度試みられたのです。



 それから、主の使いは、再び天からアブラハムを呼んで、(22章15節)
仰せられた。「これは主のみ告げである。わたしは自分にかけて誓う。あなたが、このことをなし、あなたの子、あなたのひとり子を惜しまなかったから、(16節)

 わたしは確かにあなたを大いに祝福し、あなたの子孫を、空の星、海辺の砂のように数多く増し加えよう。そして、あなたの子孫は、その敵の門を勝ち取るであろう。(17節)

 あなたの子孫によって、地のすべての国々は祝福を受けるようになる。あなたがわたしの声に聞き従ったからである。」(18節)



 アブラハムは、ついに、合格したのです。

 イサクをたきぎから下ろしたアブラムはもちろん、どんなにホッとして嬉しかったでしょう。
 でも、それ以上に、神様はお喜びになったのではないでしょうか。神はすべてをお見通しとは言え、人間の弱さもよくご存知でした。人間はいつも神様を裏切り続けてきたのです。そして、アブラハムもその人間のひとりだったからです。


 ここで、わたしたちはハガルとイシュマエルに現れて生かしてくださった神様を思うのです。アブラハムというひとりの信仰の人を作り上げることは、全人類の救済のために絶対に必要でした。その長いスパンの計画の中で、犠牲となる人間が出ることを、神はご存知だったのです。

 神がハガルとイシュマエルにも大きな祝福を下さったのは、神がなによりも愛の神様であったからでしょう。

 サラがハガルとイシュマイルを追い出してくださいと言ったとき、悩むアブラハムに神が仰せになったことばを思い出します。

「その少年とはしためのことで、悩んではならない。サラがあなたに言うことはみな、言うとおりに聞き入れなさい。イサクから出る者が、あなたの子孫と呼ばれるからだ。
 しかしはしための子も、わたしは一つの国民としよう。彼もあなたの子なのだから」(21章12節13節)







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posted by さとうまさこ at 04:00| Comment(0) | TrackBack(0) | Cofee Break | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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