2010年11月24日

Coffee Break93 王女の息子(出エジプト記2章5節〜10節)




 イスラエル人への抑圧は強くなり、その上、生まれてくる子どもまで殺せと言われては、雑草のように強い民族でも悲鳴を上げます。
 出エジプト記は、この民の悲鳴をお聞きになった神が、一人のヘブル人モーセを召し出され、イスラエルの民をエジプトから導き出す記録です。


 出エジプト記2章では、あるイスラエル人の家にスポットがあたります。レビ族の家の人が同じレビ人の娘と結婚するのです。その女が、男の子を産んだ時、ちょうど王からの命令が出ました。「男の子はみんなナイルに投げ込まなければいけない。」(出エジプト記1章22節)
 しかし、どんな親でも、自分の子どもを川に投げこめるものではありません。この母親は子どもを隠しました。三ヶ月隠したのですが、隠しおおせない時が来て、パピルス製のカゴに入れて、川に浮かべることにしました。
 カゴには瀝青と樹脂を塗って防水していたのですから、なんとか助かって欲しいと祈るような気持ちで捨てたのでしょう。

 この子の幼い姉が、そのカゴのうしろからついていくと、たまたまエジプトの王女が侍女たちと水浴びするため川に下りてきました。流れてきたカゴを王女が開けてみると、赤ん坊が泣いているのです。
 王女はすぐにヘブル人の子どもだとわかったのですが、赤ん坊をかわいそうに思いました。
 その時、赤ん坊の姉、後に女預言者として活躍するミリアムは、機転を利かせて王女の前に出て、「誰か、ヘブル人の乳母を呼んできましょうか」と言うのです。もちろん、呼ばれてきたのは、男の子の母親です。
 王女は、「この子を連れて行って、私に代わって乳を飲ませてください」と頼み、その費用まで約束してくれたのでした。(出エジプト記2章5節〜10節)

 こうして、本当の母の元で乳離れするまで育てられ、のちに王女に返されて、王女の息子として育てられたのが、モーセです。

 この物語はここまででも、ふしぎなところもあり、また、共感も覚えるのです。
 ふしぎなのは、いくら王女とはいえ、ヘブル人の子どもとわかっている赤ん坊を生かして置けたのかということです。
 川に流したものが、王女の目に止まったぐうぜんも、神が働かれたとしか思えません。
 川は一筋道だといっても、奴隷が住んでいる地域と王宮の地域では距離があったでしょう。流れるカゴの後を追跡したミリアムも、しっかりものの子どもです。

 こうしてヘブル人でありながら、エジプト人の家に接木されたモーセは、王族として成長するという幸運を手にしました。奴隷の家に育っていては、けっして身につけることはなかった高い教養と、大きなものを見渡す見識と、人の上に立つ威厳ある態度が、彼のものになりました。
 同時に、彼は単純に支配者側の人間と成りきることはできませんでした。成長するにつれ、彼は自分の中に流れるヘブル人の血を、意識するようになりました。

 大人になり、同胞の苦役を見たモーセの心に、ヘブル人としての正義感がわき起こります。その正義感は、人間的には「将来を約束された」地位にいたモーセの、すべてを捨てさせることになるのです。




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posted by さとうまさこ at 04:00| Comment(0) | TrackBack(0) | Coffee Break | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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