2010年12月04日

Coffee Break103 ぶよとあぶ





 主はモーセに仰せられた。「アロンに言え。あなたの杖を差し伸ばして、地のちりを打て。そうすれば、それはエジプト全土で、ぶよとなろう。」(出エジプト記8章16節)

 パロとのこの交渉は、十の災害と呼ばれています。ヘブル人奴隷を彼らの神礼拝のため、荒野へ行かせるなんてとんでもないと、かたくななパロに対し、主はそのしるしと不思議で、つぎつぎとエジプトをおびやかされるのです。

 最初の災害は、主がナイルの水を血に変えたことでした。エジプト中で、川が臭くなり、魚が死に、飲み水にも困るようになったのです。
 二番目がかえるの大発生です。
 災害はひどいものでしたが、パロはほとぼりがさめると、やっぱりかたくなになるのです。

 三番目は、地のちりが、ぶよになったのです。ちりがぶよになったと言うことは、数え切れないほどの大発生です。わたしは、じつはぶよと蚊のちがいもわからないものですが、蚊柱の中を通るだけでも気持ちが悪いのですから、きっとすごい光景だったでしょう。
 エジプトの呪法師たちも、彼らの秘術を使って、同じことをしようとしたのですが、できませんでした。そこで、パロに「これは神の指です。」と言うのです。つまり、ヘブル人の神を、神と認めたのです。

 けれども、「パロの心はかたくなになり、彼らの言うことを聞き入れなかった。」(19節)のです。
 
 主はモーセに仰せになります。
 それは、エジプト中をあぶの群れで満たすというものでした。
 あぶは、虻蜂取らずと言うことわざがあるくらいで、蜂のように刺すのです。大きさも蜂くらいはあるでしょう。そのような虫が大量発生し、家の中にまで入ってきたら、とても生活どころではありません。

 主は、このとき、ヘブル人が住むゴシュンの地を特別扱いし、そこにはあぶの群れがいないようにすると、仰せになり、事実そのとおりでした。
 それはもちろん、ただ、不思議をお見せになるためでなく、「主である私が、その地の真ん中にいることを、あなたが知るためである。」(22節)
 
 一方で、エジプト全土が、あぶの群れによって、荒れ果てたと(24章)言われる状態になったのです。
 これには、パロも譲歩を見せました。モーセとアロンを呼び寄せて言いました。
「さあ、国内でおまえたちの神にいけにえをささげよ。」(25節)

 最初から出国が目的ですから、国内でいけにえをささげるのでは、話になりません。
 モーセは、自分たちはエジプト人の忌み嫌うものをささげるので、エジプト人に殺されるかもしれませんと断った上で、あらためて、「三日の道のりを旅して、私たちの神にいけにえをささげなければなりません。これは主がお命じになることです。」(27節)と伝えました。

 パロはけっして遠くに行ってはならないとの条件つきで、モーセたちが、荒野に行くのを許可しました。

 ところが、モーセが祈り、あぶがいなくなると、パロの気持ちがまたしても変わったのです。






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posted by さとうまさこ at 04:00| Comment(0) | TrackBack(0) | Coffee Break | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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