2010年12月08日

Coffee Break107 モーセの変貌(出エジプト記10章)





 暗やみの災害のあと、パロは大変怒って、モーセとアロンに言いました。
「出て行け。もう一度、顔を会わせるようなことがあったら、命はないと思え」
 それに対するモーセの返事も、強いものです。

「結構です。私はもう二度とあなたの顔を見ません。」(出エジプト記10章29節)
 モーセが足音荒く席を蹴って戻る姿が、目に浮かぶような場面です。

 最初、ホレブの山で、神から召命を受けた時の、ミディアンの羊飼い、いくらか気の弱そうなモーセが、しだいに雄雄しい預言者・指導者になっていく様子が、この十の奇跡の間に描かれています。
 
 柴の中に現れた主。わたしはあるというお方。アブラハム・イサク・ヤコブの神に、モーセは最初から、畏れをもって接していました。
 主は、「わたしはあなたとともにいる。これがあなたのためのしるしである。わたしがあなたを遣わすのだ。」(3章12節)と、仰せになったのですが、それが、十のしるしと不思議の進行とともに、より大きな確信となってモーセを変えて行ったと、私には思えます。
 
 じっさい、はじめ、エジプトに戻ってきたモーセは、自分の民にさえ主が授けてくださった不思議を行なって、イスラエルの長老たちを説得しなければなりませんでした。
 ところが、九つの災害のあと、「主は、エジプトが民に好意を持つようにされた。モーセその人も、エジプトの国で、パロの家臣と民とに非常に尊敬されていた。」(11章3節)と、書かれています。

 主が、十もの災害を順番に下されるのは、なにもスペクタクルな場面を用意して、私たち読む者に話題をお与えになるためではありませんでした。
 一つには、「主とは何者か。私は主を知らない。」と言い切ったパロに、主を知らしめるために──主なる神は、イスラエルの神であるだけでなく、全世界の全人類の神である。エジプトの神々よりはるかに力のあるものであると──。
 また、ひとつには、主(神)がその力とみわざとで、イスラエルを救ってくださったということを、イスラエル人が語り、また彼らの子孫の間に語りつがせるためだったのです。
 同時に、エジプトを出てカナンに向かう旅の、困難な前途を知っておられた神は、なにより、モーセを強い指導者として育成しておられたのではないでしょうか。


 モーセは四十年後、カナンを目前にして、死ぬのですが、主はモーセを継いで指導者となったヨシュアにも、仰せになっています。
 「強くあれ。雄々しくあれ。わたしが彼らに与えるとその先祖たちに誓った地を、あなたは、この民に継がせなければならないからだ。」(ヨシュア記1章6節) 

 
☆☆☆☆☆

 十番目の災害は、初子を打つというものでした。初子(ういご)とは、最初の子どもですが、人間の場合、長男を指していました。
「エジプトの国の初子は、王座に着くパロの初子から、ひき臼のうしろにいる女奴隷の初子、それに家畜の初子に至るまで、みな死ぬ。」(5節)
 しかし、イスラエル人の初子は、災害から免れると宣告されて、その方法が指示されるのです。それが、過ぎ越しの祭りとして、伝えられるものになりました。
 




 
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posted by さとうまさこ at 04:00| Comment(0) | TrackBack(0) | Coffee Break | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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