2011年01月03日

Coffee Break133 殺してはならない(出エジプト記20章)





 十戒の六番目の戒め、「殺してはならない」に、異論のある人はいないでしょう。
 個人が他の人に与える最悪の行為です。

 アダムとエバの二人の息子が、人類史が始まったばかりで、人類最初の家庭内殺人を起こしました。カインが弟アベルを殺したのです。動機は嫉妬でした。(創世記4章)

 以来、神様はたくさんの殺人事件を人間たちの間に、ごらんになったにちがいありません。(創世記6章5節〜7節)
 正当な理由があったとはいえ、モーセが最初、エジプトを出奔しなければならなかったのは、彼がエジプトの役人を殺したことでした。
 モーセのところに、民が持ってきたたくさんの訴えの中にも、殺人事件があったかもしれません。
 
 私たちが戦争を悪だと思うのも、けっきょく殺人が行なわれるからです。殺人のない戦争はありえないわけです。しかも、「一人殺せば殺人だが、戦争でたくさん殺せば英雄」と言われるような倒錯したモラルが、堂々とまかり通ります。

 人間の罪の性質は、実に根が深いのです。


 ☆☆☆☆
 
 出エジプト記21章では、戒めに違反した場合の罰則、なかでも、殺されなければならない(死刑に価する)行為が記されています。

 人を打って死なせた者は、必ず殺されなければならない。(12節)──殺人事件
 自分の父または母を打つものは、必ず殺されなければならない。(15節)
 人をさらった者は、その人を売っていても、自分の手もとに置いていても、必ず殺されなければならない。(16節)──誘拐事件
 自分の父または母をのろう者は、必ず殺されなければならない。(17節)


 このほかにも、争っている時に妊婦に突き当たり死なせた場合。自分の持っている牛がつく癖があるのに放置していた結果、人を突いて死なせた場合。などが挙げられています。牛が人を死なせた場合は、贖い金でもすむ裁定があったようです。

 同じ聖書の掟として、「いのちにはいのち」(23節)「目には目、歯には歯、手には手」(24節)で有名な、同害報復が記されています。これは、行き過ぎた報復を禁止するために定められたものです。


 一般的に、「刑罰は犯罪を抑止する」と言われます。
 けれども、人が人を罰する「いのちにはいのち」の考え方は、神様のみこころだったでしょうか。

 神様にいのち乞いしたカインを、神様は許して他の土地に移してくださったのです。
 十戒に伴う細則は、「姦淫してはならない」の場合と同じで、やはり、神様が人間の現実に譲歩して下さったのではないでしょうか。



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posted by さとうまさこ at 04:00| Comment(0) | TrackBack(0) | Coffee Break | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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