2011年01月25日

Coffee Break155 全焼のいけにえ(レビ記1章)




 出エジプト記の次に来るのは、レビ記です。
 創世記、出エジプト記、レビ記、民数記、申命記と合わせて、「律法の書」と呼ばれています。また、「モーセ五書」とも言います。


 主はモーセを呼び寄せ、会見の天幕から彼に告げて仰せられた。(レビ記1章1節)
「イスラエル人に告げて言え。
もし、あなたがたが主にささげ物をささげるときは、だれでも、家畜の中から牛か羊をそのささげ物としてささげなければならない。(2節)
 もし、そのささげ物が、牛の全焼のいけにえであれば、傷のない雄牛をささげなければならない。それを、彼が主の前に受け入れられるために会見の天幕の入口の所に連れて来なければならない。(3節) 


 この書き出しでわかるように、レビ記は、幕屋が完成し、祭司職が決められたイスラエルに、主・神が、祭祀や律法の細則について、さらに命じられたことが記されています。もちろん、命令は出エジプト記のとき同様、すべてモーセにお語りになるのです。


 レビ記1章は、「全焼のいけにえ」のささげ方です。
 全焼のいけにえとは、文字通り、完全に燃やし尽くして、煙にしてしまうものです。なぜなら、それはささげる人の、罪の身代わりだからです。
 その順序は、ささげる人が自分で家畜の中から、雄牛、雄羊、山羊のうち、傷のないものを天幕の入口に引いてきます。
 それを祭司が受け取ってくれます。そうしたら、その家畜の頭に手を置きます。
 手を置くことで、その動物が自分の身代わりだと示すのです。ほんとうは、罪を犯した本人が死ななければいけないところを、動物でも良いと神様が認めてくださったわけです。

 ささげる人がみずから手を下して、ささげる動物を殺します。祭司は、器に血を取り出し、その血を祭壇のまわりにそそぎます。動物を切り分けている間に、祭司が、祭壇にたきぎを並べ、切り分けた動物の体と頭、脂肪を載せて焼くのです。内臓と足は、ささげる本人がきれいに洗って、やはり、体や頭といっしょに祭壇で焼きます。
 こうして、完全に焼き尽くして、煙にしてしまうのです。


☆☆☆☆

 祭祀儀礼などと聞くと、なんとなく形式的で整然とした儀式を思い起こしますが、レビ記に書かれたささげ物規程は、とても生々しいものです。
 牛や羊のような大型動物を、引いてきた人自身が殺すのです。これは、家畜やその屠殺に慣れている人でも、かなりの力仕事ではないでしょうか。
 においや煙も、強烈なものだったでしょう。たきぎで燃やすのですが、風の強い日や、雨の日もうまく燃えたのでしょうか。
 
 しかし、その生々しさに、人は自分の罪の大きさ、重さを見たのかもしれません。
 食事のために動物を殺すのではなく、このような、完全に焼き尽くす犠牲は、当時の人々が考えうる神様に対する、最大のささげ物だったのです。

 なだめの香りといわれる、この焼き尽くすいけにえについては、創世記8章に、その初出を見ることができます。洪水が引き、箱舟から出てきたノアは、主のために祭壇を築き、すべてのきよい家畜と、すべてのきよい鳥のうちから幾つかを選び取って、祭壇の上で全焼のいけにえをささげたのです。(創世記8章20節)

 主は、そのなだめのかおりをかがれ、主は心の中でこう仰せられた。「わたしは、決して再び人のゆえに、この地をのろうことはすまい。人の心の思い計ることは、はじめから悪であるからだ。わたしは、決して再び、わたしがしたように、すべての生き物を打ち滅ぼすようなことはすまい。(21節)





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posted by さとうまさこ at 04:00| Comment(0) | TrackBack(0) | Coffee Break | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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