2011年02月01日

Coffee Break162 神権政治の国(レビ記10章11章)



 
 アロンの子ナダブとアビフが神の怒りに触れて死んだ場面は、とても劇的です。神の預言者モーセは別として、アロンとその子、その子孫には、神権政治国家の祭司と言う名実とも最高の地位が与えられたのです。しかし、その第一歩は、神から与えられた祭祀儀礼を細部に至るまで、厳正に行なうことでした。わずかの規則違反も手違いも許されませんでした。神の聖という性質は、わずかの不正や堕落も憎まれるのです。

 焼死した二人の息子が、従兄弟たちの手で外に運び出されるのを見ている、アロンと残った息子エルアザルとイタマルに神様は仰せになるのです。

 あなたがたは神の毛を乱してはならない。また、着物を引き裂いてはならない。あなたがたが死なないため、また怒りが全会衆にくだらないためである。しかし、あなたがたの身内のもの、すなわちイスラエルの全家族が、主によって焼かれたことを泣き悲しまなければならない。(レビ記10章6節) 

 着物を引き裂くとは、ひどい悲しみを表現する時の、聖書の言い回しです。じっさいに着物を引き裂いたのでしょうか。今より、織りも縫製も甘かったでしょうから、引き裂く人もいたでしょう。着る者を引き裂く、体を打ち叩く、何かを打ち叩く、号泣する──悲しみを表現するアクションは、見るものの心を打ち、悲しみを増幅させます。
 あまりの悲しみの表現は、死んだものへの哀悼を超えて、いのちを奪ったものへの抗議と見えるでしょう。この場合なら、歎き悲しむことが神への抗議になるおそれがありました。神が下された罰に抗議したりしたら、新たに神の怒りがアロンや生き残ったもの、イスラエルの全会衆の上に下るかもしれません。モーセはそれを指摘したのです。

「また、あなたがたは会見の天幕の入口から外へ出てはならない。あなたがたが死なないためである。あなたがたの上には主のそそぎの油があるからだ。」(7節)

 モーセは、祭司は神から油をそそがれている特別な立場なのだから、それを忘れてはいけないと注意を喚起しているのです。悲しむことそのものを禁じているのではありません。

 さらに、主は仰せになります。
「会見の天幕に入って行くときには、あなたがたが死なないように、あなたも、あなたとともにいるあなたの子らも、ぶどう酒や強い酒を飲んではならない。これはあなたがたが代々守るべき永遠のおきてである。(9節)
 それはまた、あなたがたが聖なるものと俗なるもの、また、汚れたものときよいものを区別するため、(10節)
 また、主がモーセを通してイスラエル人に告げられたすべてのおきてを、あなたがたが彼らに教えるためである。」(11節)


 彼らとはイスラエルの全会衆です。すべてのおきてとは、十戒とその細則です。

 その中には、聖なるものと俗なるもの、汚れたものときよいものの区別も含まれているのです。

 11章には、食物禁忌の詳細、12章には出産にともなう汚れ、13章14章はツァラアトについて、記されていきます。15章は性器からの漏出。今なら、医学や科学の分野と思われることをも、祭司が取り扱っていたことがわかります。

 現代から見ると、ナンセンスに思えることもありますが、これが三千五百年前の非科学的な習慣や迷信だと笑うことはできないのです。このような禁忌や汚れを教えることがなにを意味していたのか、考えてみたいと思います。



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posted by さとうまさこ at 04:00| Comment(0) | TrackBack(0) | Coffee Break | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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