2011年04月08日

Coffee Break225 青銅の蛇(民数記21章4節〜9節、ヨハネの福音書3章14節15節)

 


 「荒野の旅」の苛酷さについては、これまで何度も見てきました。荒野の四十年は、大集団が、荒野を流浪していると言っても、過言ではないのです。神様がマナを降らせてくださって、なんとか毎日パンは手に入るのです。肉が食べたい時には、肉も降らせて下さいました。
 それでも、イスラエルの民は、不満や不平を言ってモーセやアロンに詰め寄りました。
 振り返ると、つぶやきの原因で一番多いのは、水でした。

 民数記20章で、モーセが岩を叩いて水を出しました。これはモーセとアロンが、岩に命じなさいと言う神の命令に反して、杖で岩を叩いたため、二人とも神の怒りに触れて、約束の地に入れないと宣告されるのです。

 民がつぶやき、神に背く度に、神の処罰が厳しくなってくるように見えます。
 それなのに、またしても、民は水のことでつぶやいたのです。今度は、アロンがいませんから、「神とモーセにさからって」と書かれています。

 彼らはホル山から、エドムの地を迂回して、葦の海の道に旅立った。しかし民は、途中でがまんできなくなり、(民数記21章4節)
 民は神とモーセに逆らって言った。「なぜ、あなたがたは私たちをエジプトから連れ上って、この荒野で死なせようとするのか。パンもなく、水もない。私たちはこのみじめな食物に飽き飽きした。」 (5節)


 この愚痴は、神様の逆鱗に触れたことでしょう。水がないのはとにかく、神様が下さっているマナを、「みじめな食物に飽き飽きした」と言ったのです。
 
 まもなく、怖ろしい出来事が起こりました。毒蛇が宿営を襲ったのです。

 そこで、主は民の中に燃える蛇を送られたので、蛇は民にかみつき、イスラエルの多くの人々が死んだ。(6節)
 民はモーセのところに来て言った。「私たちは主とあなたを非難して罪を犯しました。どうか、私たちから蛇を取り去ってくださるよう、主に祈ってください。」モーセは民のために祈った。(7節)
 すると、主はモーセに仰せられた。「あなたは燃える蛇を作り、それを旗ざおの上につけよ。すべてかまれた者は、それを仰ぎ見れば、生きる。」(8節)
 モーセは一つの青銅の蛇を作り、それを旗ざおの上につけた。もし蛇が人をかんでも、そのものが青銅の蛇を仰ぎ見ると、生きた。(9節)


 ☆☆☆☆

 青銅の蛇を仰ぎ見れば、毒蛇の害毒から生還できるという話に、私は、ちょっと違和感を覚えるのです。鋳造した形あるものに霊的な効力を認めるのは、私たちの周りに、今もたくさんある偶像を使ってのまじないに似ています。
 金の子牛を拝んだために、神の怒りに触れたシナイでの記憶も新しいのです。
 

 この部分はのちに、新約聖書の福音書の中で、ヨハネは、次のように書いています。

 モーセが荒野で蛇を上げたように、人の子もまた上げられなければなりません。(ヨハネの福音書3章14節)
 それは、信じるものがみな、人の子にあって永遠のいのちを持つためです。(15節)
 

 青銅の蛇はイエス・キリストの救いの予表だと言うのです。たしかに、金の子牛との決定的な違いは、青銅の蛇は神の命令で作られたことです。しかも、じっさいに、それを見上げた人々を、蛇の毒から癒したのです。死ぬべきいのちが、それを見上げることで回復されたのです。その意味では、キリストの十字架を表しています。






2011
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posted by さとうまさこ at 04:00| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | Coffee Break | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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