2011年05月17日

Coffee Break261 ヨナのしるし(ヨナ書、マタイの福音書12章38節〜41節)




 主は仰せられた。「あなたは、自分で骨折らず、育てもせず、一夜で生え、一夜で滅びたこのとうごまを惜しんでいる。(ヨナ書4章10節)
 まして、私は、この大きな町ニネベを惜しまないでいられようか。そこには、右も左もわきまえない十二万以上の人間と、数多くの家畜とがいるではないか。」(11節)



 ヨナは神と争いました。神様に勝つことなどできないのを承知で、それでも、反抗し、だだをこねました。
 神様の強権で、ずるずるとニネベへ引っ張られてきた気分だったかもしれません。魚の中で、三日三晩苦しんで助けを求め、祈ったはずなのに、心の奥の奥には自分の正義が生きていて、神様の義(正しさ)に対し、怒っているのです。

 結局、ヨナの魚の中での「三日三晩」で一番変えられたのは、ニネベの人たちでした。
 罪深い偶像礼拝者、淫らで自己中心の生活をしている人たちが、悔い改めたのです。上は王から、下は庶民、家畜や獣にいたるまで、「わざわいを思いなおしてください」と,神様にひれ伏したのです。

 神様は、わざわいを思いなおされました。

 その理由を、神様は、十二万人以上の人間と、それ以上の家畜を惜しむからだと言われました。

「ヨナよ。あなたは、自分が生えさせたのではない一本のとうごまの木さえ惜しんでいるではないか。しかし、ニネベの人間と家畜は、わたし自身が造ったのだ。私の愛の対象なのだ。滅びるのを、惜しむのは当然ではないか。」


☆☆☆☆

 ヨナの時代から七百五十年ほど経ったころ、イスラエルにイエス・キリストが現れ、福音を告げ知らせておいででした。

 ある日、律法学者、パリサイ人たちのうちのある者がイエスに答えて言った。「先生。私たちは、あなたからしるしを見せていただきたいのです。」(マタイの福音書12章38節)

 イエス様の評判が日ごとに高くなって、その人気に比例するように、旧来のイスラエルの祭司や神学者たち──支配階層の人たちの妬みや警戒は高まっていました。そこで、彼らは、なんとかイエス様を陥れよう、イエス様を試そうと、いつも機会を狙っていました。


 しかし、イエスは答えて言われた。「悪い、姦淫の時代はしるしを求めています。だが、預言者ヨナのしるしのほかには、しるしは与えられません。」(39節)
 ヨナは三日三晩大魚の腹の中にいましたが、同様に、人の子も三日三晩、地の中にいるからです。(40節)


 このナゾのような答えを、パリサイ人は、どの程度理解したでしょう。
 ヨナが大魚の腹の中にいたこと。ヨナがニネベへ行き、ニネベの人々に悔い改めと救いをもたらしたのは、わかっていたでしょう。
 けれども、人の子(イエス様)が、「三日三晩、地の中にいる」ということばは理解するべくもなかったでしょう。


 当然ですね。
ヨナは人間でしたが、イエス様は神様でした。人間として十字架で死に、神として甦られるために、三日三晩地の中におられたのです。
 そして、新約の民、当時のイスラエルの民は、三日三晩の後──イエス様がよみがえられた後にも、すぐに、悔い改めることはありませんでした。


 つぎのイエス様のことばは、痛烈です。

 ニネベの人々が、さばきのときに、今の時代の人々とともに立って、この人々を罪に定めます。なぜなら、ニネベの人々はヨナの説教で悔い改めたからです。しかし、見なさい。ここにヨナよりまさった者がいるのです。(41節)

 ヨナ書は、短い中に、強烈はメッセージが凝縮されています。一民族の神・アブラハム・イサク・ヤコブの神──イスラエルの神から、ユニバーサルな愛の神イエス・キリストが、まばゆく顕現されるその予告であると思います。
 




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posted by さとうまさこ at 04:00| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | Coffee Break | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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