2011年05月19日

Coffee Break263 過去を反省する(申命記1章)




 人は、来た道を振り返ります。個人でも、会社でも、学校でも、国家でも、教会であってさえも、歩んできた道を振り返り、意味づけをし、成果や反省を語ります。それは、未来を展望し、その道筋をつけるためです。過去から始まった歩みを、より良い未来を示す意義のある足跡にしたいと、だれでも思うからです。

 もし、未来への展望がないなら、振り返ることはたんなる後悔や愚痴、過去の出来事への非難攻撃にすぎなくなってしまいます。

 個人や国が挫折して、未来がとても困難に見えるとき、激しい後悔や愚痴の中で、ますます展望を失うのはそのためです。個人であっても、社会や国であっても、ただ、困難だけが続けば徒労感と無力感で、存在そのものの危機がますます大きくなります。

 どんな挫折であるように見える過去でも、積極的に意味を見出し、未来への展望につなげなければ、私たち人間は生きて行くことはできません。
 
  
☆☆☆☆

 モーセはヨルダン川の東岸のアラバの荒野で、イスラエルのすべての民に向かって演説をしています。過去を振り返って意味づけし、未来の展望を示すためでした。
 

 私たちの神、主は、ホレブで私たちに告げて仰せられた。「あなたがたはこの山に長くとどまっていた。(申命記1章6節)

 向きを変えて、出発せよ。そしてエモリ人の山地に行き、その近隣のすべての地、アラバ、山地、低地、ネゲブ、海辺、カナン人の地、レバノン、さらにあの大河ユーフラテス川まで行け。(7節)

 見よ。わたしはその地をあなたがたの手に渡している。行け。その地を所有せよ。これは、主があなたがたの先祖アブラハム、イサク、ヤコブに誓って、彼らとその後の子孫に与えると言われた地である。」(8節)


 最初に、イスラエルの民のエジプト脱出が、神のご命令であったことが告げられます。

 つぎには、モーセが、シナイ山で宿営しているときに、民を十人、五十人、百人、千人の組に分けて、そのかしらを選んだこと。(出エジプト記18章18節〜26節) つまり、烏合の衆に近かったイスラエルの民に、組織と秩序、さばきのルールを与えたことが語られます。(申命記1章9節〜18節)

 けれども、申命記1章で、モーセが語りたかったことは、その後に来ます。

 イスラエルの民がシナイ(ホレブ)を旅立ち、ガデシュ・バルモアまできたときに、カナンの地を探るため、十二人の斥候を出しました。
 ところが、戻ってきた斥候の内、十人はそこに入ることはできないと、悲観的な報告をしたのです。理由は、その地の民が背が高く、城壁は大きく高くとても崩せそうもない。しかもそこには、アナク人(巨人)がいるというわけです。
 
 その結果、主は、あなたがたの不平を言う声を聞いて怒り、誓っていわれた。(34節)

「この悪い世代のこれらの者のうちには、わたしがあなたがたの先祖に与えると誓ったあの良い地を見るものは、ひとりもいない。(35節)
 ただ、エフネの子カレブだけがそれを見ることができる。彼が踏んだ地を、わたしは彼とその子孫に与えよう。彼は主に従い通したからだ。」(36節)


 この事件のため、神がお怒りになり、エジプトを出てきたとき二十歳以上だった世代が死に絶えるまで、斥候がカナンを探った四十日の一日を一年と換算して四十年、イスラエルの民は荒野をさまようことになりました。

 モーセは、出エジプトからカナンまで、四十年も要した荒野の旅について、まず、民に思い起こさせています。
 荒野の四十年の原因をきちんと反省しておくことが、イスラエルの未来に必要不可欠なことだったからでしょう。





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posted by さとうまさこ at 04:00| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | Coffee Break | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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