2011年06月02日

Coffee Break277 人はパンだけで生きるのではない(申命記8章3節、マタイの福音書4章4節)

 

 
 あなたの神、主が、この四十年の間、荒野であなたを歩ませられた全行程を覚えていなければならない。それは、あなたを苦しめて、あなたを試み、あなたがその命令を守るかどうか、あなたの心のうちにあるものを知るためであった。(申命記8章2節)
 
 それで、主は、あなたを苦しめ、飢えさせて、あなたも知らず、あなたの先祖たちも知らなかったマナを食べさせられた。それは、人はパンだけで生きるのではない、人は主の口から出るすべてのもので生きる、ということを、あなたにわからせるためであった。(3節)



 聖書を一度も開いたことがない人でも、「人はパンだけで生きるのではない」と言うことばを聞いたことがあるのではないでしょうか。

 この部分だけでも、とても感動的なことばです。たしかに、私たち人間は、胃袋が満たされるだけでは、満足できないのです。
 それは、今夜食べるものもないと言うような貧しい状態ではなく、今の私たちのように、食べる心配がない社会で、よりはっきり理解できる真理です。
 私たちの社会にあらゆる娯楽が用意されているのは、なぜでしょう。あらゆる好奇心に答えるものがあるのは、どうしてでしょう。
 私たちが、愛し合い、家庭を築き、家を建て、人間関係を築き、学び、資格を取り、趣味をもち、自己実現に励むのは、たんに豊かさの果実でしょうか。
 やはり、「人はパンだけで生きるのではない」からではないでしょうか。
 人が生きるためにほんとうに必要なもの、それは何でしょうか。

 
 さいわい、いま、私たちは、このことばの前後を学ぶことができます。
 
 人はパンだけで生きるのではない、人は主の口から出るすべてのもので生きる。
 
 主の口から出るすべてのものとは、神のことばです。


 ☆☆☆☆

 エジプトから出てきたイスラエルの民が、すぐに直面したのは、飢えと渇きでした。
 葦の海の底を、歩いて渡るという奇跡を経験して、わずか三日目には民は水がないことで、不満を言いました。
 水が与えられると、一ヶ月もしないうちに、シンの荒野で飢えに直面して、モーセとアロンにつぶやきました。
 神、主は、マナと言うパンを降らせて下さいました。また、うずらを飛来させ、彼らに肉を与えられたのです。(出エジプト記16章)


 主はモーセに仰せられた。「見よ。わたしはあなたがたのために、パンが天から降るようにする。民は外に出て、毎日、一日分を集めなければならない。これは、彼らがわたしのおしえに従って歩むかどうかを、試みるためである。」(出エジプト記16章4節)

 驚くべきことです。
 神は、天からパンを降らせると約束してくださったのです。同時に、そのパンの採取の仕方、ルールまで定められました。事実、神のことばどおり、マナが毎日天から降り、それは、イスラエルの民がカナンに入るその日まで、四十年間続いたのです。

 イスラエルの家は、それをマナと名づけた。それはコエンドロの種のようで、白く、その味は蜜を入れたせんべいのようであった。(16章31節) 

 ☆☆☆☆


 イエス・キリストは、バプテスマのヨハネからバプテスマを受けて後、荒野に入り、四十日四十夜の断食をしました。

 空腹を覚えたイエス様の前に、試みる者(悪魔)が近づいて言いました。

「あなたが神の子なら、この石がパンになるように、命じなさい。」
 イエスは答えて言われた。「『人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばによる』と書いてある。」 (マタイの福音書4章4節)


 この有名な箇所は、もちろん、先の申命記の8章3節のことです。
 イエス様は、悪魔の誘惑を、旧約聖書のみことばを使って退けられたのです。

 イエス様は神様ですから、石をパンに変えるなど簡単におできになったのでした。しかし、ここでイエス様は、私たちに大切なことを教えておられるのです。

 悪魔はイエス様(神)でない私たち人間にも、しばしば、「石をパンに変えてみよ」とそそのかします。私たちは、その時、神の口から出る「ことば」で、答えなければならないのです。
 ゆめゆめ自分を過信して、悪魔の誘惑に乗ってはならないのです。

 イスラエルの民がともかくも、苦しい困難な荒野の四十年を乗り切ったのは、マナがあったからです。信仰の弱いイスラエルの民も、毎日神のことばに期待してマナを集めました。結果、四十年間、信仰体験を積み重ねていたのです。
 

 それが、主は、あなたを苦しめ、飢えさせて、あなたも知らず、あなたの先祖たちも知らなかったマナを食べさせられた。それは、人はパンだけで生きるのではない、人は主の口から出るすべてのもので生きる、ということを、あなたにわからせるためであった。(3節)という意味だと、私は思います。





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posted by さとうまさこ at 04:00| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | Coffee Break | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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