2011年06月11日

Coffee Break285 わいろの世界では(ルカの福音書18章2節〜8節)

 


 神はわいろを取ったりなさいません。(申命記10章17節)
 けれども、私たちは、ふだんは人間と付き合っていますから、わいろを使うような人と出会うかもしれません。
 
 上司や先生にわいろを使って、引き立ててもらう人を見るのもあまり気持ちのいいものではありません。
 いくらクリスチャンでも、「うまく泳ぐ」人に苛立つことはあるでしょう。

 もっと苦しいのは、クリスチャンであるにもかかわらず、なんとなく上司の気に入られるように振舞ったり、引き立ててもらうと嬉しかったりすることです。これは、もちろん、ほかの方々のことではなくて、たぶんに、自分について話しているのです。目に見えるようなわいろは使わないつもりですが、笑顔がわいろになっているかもしれないのですから、自分は真っ白だとはとても言えません。


☆☆☆☆

 
 さらに、実質的に損害を受ける危機状況に陥ることがあります。その例が、新約聖書に記されているのです。
 イエス様が話されたたとえ話です。

「ある町に、神を恐れず、人を人とも思わない裁判官がいた。(ルカの福音書18章2節)

 その町に、ひとりのやもめがいたが、彼のところにやって来ては、「私の相手をさばいて、私を守ってください」と言っていた。(3節)

 彼は、しばらく取り合わないでいたが、後には心ひそかに、『私は神を恐れず人を人とも思わないが、(4節)
 どうも、このやもめは、うるさくてしかたがないから、この女のために裁判をしてやることにしよう。でないと、ひっきりなしにやって来てうるさくてしかたがない』と言った。(5節)



 この裁判官は、やもめに損害を与えた相手から、わいろをもらっていたのでしょう。裁判官に裁判をしてもらえなくて、やもめは悔しくてたまりません。
 けれども、やもめは「不正」にくじけませんでした。
 朝に、夕に、やって来ては、裁判官に頼むので、神を恐れず人を人とも思わない男ですが、面倒くさくなったのでしょう。うるさいから、裁判をしてやるか、と言ったのです。

 主は言われた。「不正な裁判官の言っていることを聞きなさい。(6節)
 まして、神は、夜昼神を呼び求めている選民のためにさばきをつけないで、いつまでもそのことを放っておかれることがあるでしょうか。」(7節)


 あなたがたに言いますが、神はすみやかに彼らのために正しいさばきをしてくださいます。(8節)

 
 神を恐れず人を人とも思わないような裁判官でも、日参して不正を訴えると重い腰を上げてくれる。まして、神が熱心に祈り求めるものの願いを、聞いてくださらないはずはないというのです。
 つまり、この世が罪に満ちていて、わいろを使う人がいても、私たち神を信じるものは心配する必要がないのです。
 
 もっとも、イエス様は付け加えておられます。

しかし、人の子(イエス・キリスト)が来たとき、はたして地上に信仰が見られるでしょうか。」(8節)

 結局は、私たちの信仰が問題なのです。

 心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい。(申命記6章5節)




 
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posted by さとうまさこ at 04:00| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | Coffee Break | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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