少し「神経を病んでいる」Hさん。ごくふつうの女性です。見た目もふつうで、言動がとくに変わっているわけではありません。生計は「主婦業」で成り立ち、かわいい子どももひとりいます。優しそうなご主人との家庭は、まさにどこにでもあるような「平穏な家庭」です。
神経を病んでいるというのは、本人がそう言うからわかるのです。心療内科に掛かって、診察を受け、医師の診断名もあります。薬を十種類くらいもらって飲んでいるそうです。
ここで診断名を明らかにすることはできません。同じ病名でも、その状態はさまざまですから、その診断をいただいている方々を、傷つける恐れもあります。
私はHさんを幼い頃から知っていますが、非常に「よい子」「優等生」でした。良い人と結婚してそのまま絵に描いたような結婚生活に入ったのです。ところが、自分の子どもにひどく辛く当るようになってしまいました。また、町や電車の中にあるものが不潔に見え、病気になるではないかとおそれて、外出も思うに任せなくなったのです。
お医者様は、「この病気はむりに治そうと思わないで、長く付き合っていく気持ちでいましょう」と言われるそうです。それにしても、三時間も待つ診察を受けるのも楽ではなさそうです。
いろいろ話を聞いていると、最終的には、彼女の口から、育った家庭、とりわけ母親への批判が出てきました。だれが見ても平均的な家庭と思えるような家庭で、父親や母親が何か身勝手をして、子どもを顧みなかったり、養育に手を抜いたと言うようなことはありませんでした。むしろ、一所懸命子育てをしてきたのです。
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アビブの月を守り、あなたの神、主に過ぎ越しのいけにえをささげなさい。アビブの月に、あなたの神、主が、夜のうちに、エジプトからあなたを連れ出されたからである。(申命記16章1節)
出エジプトは、神の救いを体験したイスラエルの民の原点でした。イスラエルの民はエジプトで奴隷であったのです。そこからたくさんの不思議や奇蹟とともに、神様はイスラエルの民を連れ出してくださったのです。
この日、このアビブの月を「過ぎ越し」として記念しなさいと、すでに、何度も命じられています。(レビ記23章5節〜7節)
主が御名を住まわせるために選ぶ場所で、羊と牛を過ぎ越しのいけにえとしてあなたがたの神、主にささげなさい。(2節)
それといっしょに、パン種を入れたものを食べてはならない。七日間はそれといっしょに種を入れないパン、悩みのパンを食べなければならない。あなたが急いでエジプトの国を出たからである。それは、あなたがエジプトの国から出た日を、あなたの一生の間、覚えているためである。(3節)
過ぎ越しは、いわばお祭りでしたが、その日に、種の入っていないパン(おいしくないパン)を食べなさいと言うのです。エジプトを出てくるのが急だったので、種を入れて発酵させている時間がなかったのです。(出エジプト記12章34節39節、13章3節〜8節)
奴隷生活を断ち切るその夜は、もちろん、新生ともいうべき劇的な意味がありました。しかし、それは「苦しい、緊張の夜」だったことを忘れてはいけないのです。
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私たちは行き詰まった時、つい過去を振り返って、親や生い立ちに原因を見つけようとします。
捜せば、必ず、その原因だと思われる出来事があるのです。
まことの神様に従って、その愛に恃んで、「よし!」と、喜びと興奮のうちに旅立ったイスラエルの民でさえ、荒野の旅で苦しい状況に陥るたびに、「エジプトにいれば良かった」「ここでわれわれを殺す気か」とモーセにくってかかりました。「さあ、みんなでエジプトに帰ろう」と、帰りかけたこともありました。
その結果、わずか一ヶ月の道のりといわれるエジプト──カナンを、四十年間もさまよったのです。
カナンを目前にして、モーセが申命記でもう一度、「アビブの月を忘れるな」と言ったのは、辛い旅立ちの日を未来への展望のバネにするためでした。神が共にいてくださらなければ、そもそも奴隷から自立することも、かなわなかったのです。
Hさんの医者は言うそうです。
「この病気は、なかなか治らない。まあ、治そうと思わないで、気楽に病気と付き合って」
私は、彼女に言ったのです。
「でもね。そんなことなら、私でも言えそう」
その先は、心の奥での独り言でしたが・・・。
「まあ、治そうと思わないで、気楽に神様と付き合って。神様はずっとあなたといっしょにいてくださってるのよ。
少なくとも、神様には予約はいらないし、待合室で三時間も待つ必要はないし、二十四時間いつでもお話できる。お薬を出さないので、薬代も要らない。ほんとうよ。まず、お祈りしてみよう。お祈りの最後に、『イエス様のお名前で祈ります』と言ってごらんなさい。これは偉い方にお会いする時に、紹介者の名刺を出すようなものね。ただちに、神様の前に行けるのよ」
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