2011年08月03日

Coffee Break333 祝福(申命記28章1節〜13節)




 申命記28章では、祝福やのろいが、どのようなものかが語られます。
 まず、「祝福」を見てみましょう。
 
 もし、あなたが、あなたの神、主の御声によく聞き従い、私が、きょう、あなたに命じる主のすべての命令を守り行なうなら、あなたの神、主は、地のすべての国々の上にあなたを高くあげられよう。(申命記28章1節)
 あなたがあなたの神、主の御声に聞き従うので、次のすべての祝福があなたに臨み、あなたは祝福される。(2節)

 あなたは、町にあっても祝福され、野にあっても祝福される。(3節)


 町にあっても野にあっても祝福されるとは、どこで、何をしても、良い結果になると言うことです。

 あなたの身から生まれる者も、地の産物も、家畜の産むもの、群れのうちの子牛も、群れのうちの雌羊も祝福される。(4節)

 良い子どもたちに恵まれ、子どもたちは出世し、畑を持つものは十分な収穫があり、家畜を持つものは家畜が順調に繁殖するのです。

 あなたのかごも、こね鉢も祝福される。(5節)

 かごは収穫物を入れてもって帰ってくるものですから、「収入」。こね鉢は大麦や小麦の粉をこねる鉢で、パンを作るためのものですから、「消費生活」を意味しています。収入がたっぷりあって、そのために十分な消費生活が楽しめるのは、やはり大きなさいわいです。

 あなたは、入るときも祝福され、出て行くときにも祝福される。(6節)

 外で悪い出来事に会えば、肩を落として帰ってくることになります。家の中に悪いニュースがあれば、明るく元気で出かけることはできません。元気に帰宅できて、元気に出かけられるのは、しあわせな生活です。

 主は、あなたに立ち向かって来る敵を、あなたの前で敗走させる。彼らは、一つの道からあなたを攻撃し、あなたの前から七つの道に逃げ去ろう。(7節)

 これは、文字通り戦争や略奪のためにやってくる敵と考えることも、いわゆる「人生の困難」を例えているのだとみるのも可能です。いずれであっても、強大な敵が向かってきてさえ、彼らは散り散りになって敗走していくというのです。「七」は、イスラエルでは完全数を意味しますので、「七つの道に逃げ去る」とは、日本語では、「四方八方に逃げる」「散り散りになって逃げる」ことです。

 主は、あなたのために、あなたの穀物倉とあなたのすべての手のわざを祝福してくださることを定めておられる。あなたの神、主があなたに与えようとしておられる地で、あなたを祝福される。(8節)

 穀物倉は、今なら銀行の預金口座でしょう。手のわざは、もちろん、「仕事・職業」です。そのような仕事の場も主が与えてくださって、そこで、なにもかもうまくいくのです。

 あなたが、あなたの神、主の命令を守り、主の道を歩むなら、主はあなたに誓われたとおり、あなたを、ご自身の聖なる民として立てて下さる。(9節)

 主の聖なる民については、申命記26章18節19節に、書かれています。

  主は、こう明言された。あなたに約束したとおり、あなたは主の宝の民であり、あなたが主のすべての命令を守るなら、(18節)
 主は、賛美と名声と栄光とを与えて、あなたを主が造られたすべての国々の上に高くあげる。そして、約束のとおり、あなたは、あなたの神、主の聖なる民となる。(19節)


 地上のすべての国々の民は、あなたに主の名がつけられているのを見て、あなたを恐れよう。(10節)

 「主の聖なる民」と呼ばれているあなたを見たとき、地上のだれもがあなたを恐れ、敬う。それゆえ、最初から、「闘争」や「挑戦」を諦めてくるのです。あなたは平安の中を生きることができるのです。

 主が、あなたに与えるとあなたの先祖たちに誓われたその地で、主は、あなたの身から生まれる者や家畜の生むものや地の産物を、豊かに恵んでくださる。(11節)

 すでにあなたが得ているもの──子どもたちや、家畜や、収穫は、さらに豊かになるというのです。

 主は、その恵みの倉、天を開き、時にかなって雨をあなたの地に与え、あなたのすべての手のわざを祝福される。それで、あなたは多くの国々に貸すであろうが、借りることはない。(12節)

 これだけ科学技術が発達したこの時代であっても、天候は人の手で変えられないもののひとつです。大規模な熱帯雨林の伐採や、コンクリートジャングルの巨大な都市の出現で、気候変動が起こっていると言われますが、それは、私たち人間が望んでいる「良い変化」ではありません。
 気候変動は、じつは、生産活動の息の根を抑えているのです。
 とくに、ほとんどの人が、農業や牧畜、漁業などに従事していた聖書の時代、太陽が照る日数、雨の量で、たちまち収穫に影響し、喜びや苦しみの原因になったのです。
 最適な気候状態で、豊作になり、家畜が増えたとき、民はまさに、「天が恵の倉を開いて下さった」と実感したにちがいありません。
 そして、豊かになると、借りる側ではなく、貸す側になるのです。これも、昔から「幸せの形」のひとつだったようです。
 
 私が、きょう、あなたに命じるあなたの神、主の命令にあなたが聞き従い、守り行なうなら、主はあなたをかしらとならせ、尾とはならせない。ただ上におらせ、下へは下されない。(13節)

 これらの祝福の結果、あなたは人の上にたち、人に踏みにじられたり、蔑まれたりしなくてすみます。


 それにしても、祝福とは、「すごい現世利得だ!」と思われるでしょうか。クリスチャンらしくない用語ですが、「ご利益のオンパレード!?」。
 これだけのご褒美をいただけるとわかっていても、イスラエルの民は、神のことばに聞き従うことができなかったのでしょうか。

 明日は、このあとの、申命記28章14節から68節まで延々と述べられている「のろい」について、見てみましょう。









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posted by さとうまさこ at 00:00| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | Coffee Break | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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