2011年08月05日

Coffee Break335 のろいの前提(申命記28章22節〜)




 主は、肺病と熱病と高熱病と悪性熱病と、水枯れと、立ち枯れと、黒穂病とで、あなたを打たれる。これらのものは、あなたが滅びうせるまで、あなたを追いかける。(申命記28章22節) 

 またあなたの頭の上の天は青銅となり、あなたの下の地は鉄となる。(23節)
主は、あなたの地の雨をほこりとされる。それで砂ほこりが天から降って来て、ついにはあなたは根絶やしにされる。(24節)

 主は、あなたを敵の前で敗走させる。あなたは一つの道から攻撃するが、その前から七つの道に逃げ去ろう。あなたのことは、地上のすべての王国のおののきとなる。(25節)

 あなたの死体は、空のすべての鳥と、地の獣とのえじきとなり、これをおどかして追い払う者もいない。(26節)


 モーセは、のろいについて、申命記28章14節から68節にわたって語っています。どれも、三千四百年ほど前のイスラエルの民に語られたものですから、現代の問題とは違いますが、とても悲惨なものばかりです。
 22節に列挙されているような病気は、現代ではほとんど治るものかもしれません。しかし、時代が新しくなれば、また、新しい恐ろしい病気が生まれています。

 天が青銅、地は鉄と言うのは、大きな鉄の牢に閉じ込められている姿を思わせます。

 雨の代わりに砂が天から降って来て、人は根絶やしにされる・・・。ありえないことではない光景です。
 敵と戦っても、散り散りに逃げなければいけなくなるのです。しかも、死んだあと、その死体は、野獣や野鳥の餌食となっている。ても、家族や近隣の人も死んだのか、誰も追い払う人がいない。埋葬されないのは、当時も大きな不孝だったのがわかります。

 主は、エジプトの腫物と、はれものと、湿疹と、かいせんとをもって、あなたを打ち、あなたはいやされることができない。(27節)

 主はあなたを打って気を狂わせ、盲目にし、気を錯乱させる。(28節)

 あなたは、盲人が暗やみで手さぐりするように、真昼に手さぐりするようになる。あなたは自分のやることで繁栄することがなく、いつまでも、しいたげられ、略奪されるだけである。あなたを救う者はいない。(29節)



☆☆☆☆


 聖書のこのような箇所を取り上げて、このような悲惨な「のろい」が、なぜ神から来るのかと、批判をする人がいます。神さまは、人間に取って都合の良いこと、ご利益だけを下さると思っていると、なお、憤然とするかもしれません。日本人は無神論者が多いと言われますが、目先のご利益を求めている人は、当然、「神様はいない」との結論になるでしょう。
 私たちの生きている世界は、ユートピアとほど遠い不公平があり、天国とほど遠い痛みや争いや憎しみがあり、災害があり、病気があり、死があります。医学は進み、政治のシステムも改良され、福祉もありますが、根本的に問題が解決されたわけではありません。 

 東日本大震災のあと、「神様がいるなら、どうしてあんなことが起こったのだ」と言う声がありました。また、「これは、のろいだ!」と言って回った自称宗教家もいたとか。けれども、東日本大震災が、申命記のこの箇所で語られる「のろい」とは、何の関係もないのは、自明です。


 モーセがここで、祝福とのろいを列挙して警告しているのは、旧約のイスラエルの民に対してです。
 神、主が、イスラエルをエジプトから救い出してくださり、シナイで契約を結んでくださったのは、彼らの父祖アブラハムに約束したように、彼らをカナンにいれ、祝福される民にし、彼らから、最終的に全人類が救いに入ることができるようになるためでした。

 イスラエルは、弱小の民で、エジプトで奴隷でしたが、神が一方的に愛して下さり、栄誉ある「聖なる民」に選んでくださったのです。数々の奇蹟としるしを顕して、彼らをカナンまで連れてこられたのです。
 だから、モーセは、神が契約の時に下さったおきてと戒めを守り、神への従順を守るよう、何度も念を押しているのです。


 ☆☆☆☆

 しかし、イスラエルの民は、神の戒めにしばしば違反するのです。そうして、モーセが警告した「のろい」を、その身に経験して苦しみました。

 あなたは、包囲と、敵がもたらす窮乏とのために、あなたの身から生まれた者、あなたの神、主が与えてくださった息子や娘の肉を食べるようになる。(53節)と言ったことさえ現実になるのです。(U列王記6章28節29節参照)

 「聖なる民」は、鍛錬されるべき民でした。神の罰を何度も体験しながら、侵略され、捕囚に連れ去られ、互いに離散の憂き目を見、自分たちの神殿が破戒される、そのような悲惨な状況で、イスラエルの民の信仰は、精練されていったのです。


 メシア(キリスト)を待ち望む民の中に、二千年前、ついにイエス様がお生まれになりました。そして、三十三年後、神さまはご自身(御子)を十字架につけて、イスラエルの民だけでなく、全人類の贖いをしてくださったのです。

 私たちは、いま、救われるために、厳しい律法やおきてを守る必要はなく、したがって、のろいを負うこともありません。ただ、信じる信仰だけで、神の恵みと祝福を受け、永遠のいのちまでいただけるのです。

 もちろん、この世はまだ不完全です。病も死もあり、災害もあります。しかし、それはアダムとエバが楽園を追放されて、神の守りの外に出たときからあるものです。申命記で、モーセが注意を促した律法にともなう「のろい」とは、関係がないものです。 






posted by さとうまさこ at 00:00| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | Coffee Break | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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