2011年08月08日

Coffee Break338 モーセの心残り(出エジプト記、申命記)




 申命記も終りに近づいてきました。申命記は律法の書(モーセ五書)の五番目の書物ですから、まもなく律法の書全巻が終わることになります。
 申命記は、モーセの遺言演説です。第四十年の第十一月の一日に、この演説が行なわれたと記されています。(申命記1章3節) 


 私は、きょう、百二十歳である。もう出入ができない。主は私に、「あなたはこのヨルダンを渡ることができない」と言われた。(31章2節)

 出エジプト記の初めから登場してきたモーセも、カナンには入れないと、神さまから申し渡されているのです。出エジプト、荒野の四十年の物語は、その壮大さにもかかわらず、主要登場人物はさほど多いわけではありません。預言者として神のことばを取次いで、イスラエルの民を率いて来たモーセは、圧倒的なリーデング・キャラクターです。

 アロンが死ぬときも感慨がありましたが、モーセの生涯がここで終わるのは、人間的に見れば、残念な気がするほどです。しかし、それゆえ、モーセの偉大さが際立ち、それ以上に、神のご計画の比類のない奥深さに気づかされるのです。
 ここで、私たちは改めて、「聖書の主役は神」という出発点を思い出すのです。


☆☆☆☆

 長くモーセと付き合ってきたせいで、私の頭の中にはモーセのイメージが、たしかにふくらんでいるのです。 ただ、冷静に振り返れば、出エジプト記以来、モーセの肉体的特徴について、直接には、何一つ書かれていないのです。
 たぶん、髪は黒かったでしょう。少し縮れていたかもしれません。肌は日焼けで浅黒かったかもしれません。鼻は高く、上背があって、筋肉質のからだ──なんのことはない、映画「十戒」チャールトン・ヘストンの特徴だったりします。

 性格はどうでしょう。神の預言者として、六十万の民を率いる男といえば、ふつうは強烈な個性の、強い人間を思い浮べます。神に選んでいただけるのですから、清廉潔白で、正義感が強い? 神にひたすら従順なのですから寡黙な雰囲気──げんに、彼は自分は口下手ですと、神の召命を一度は断わっています。

 しかし、八十歳で召命を受けるのですから、強健な人だったでしょう。エジプトの王女の息子として育てられたのですから、どこか気品が漂っていたに違いありません。


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 はっきりしていることがあります。最初のうち、モーセは、神の預言者としての立場に戸惑いや弱気を見せています。(出エジプト記3章、4章) その次は、ただ、ひたすら一所懸命、必死に使命を遂行する姿に変えられます。(出エジプト記5章〜18章)
 やがて、確信をもった神のしもべとなり、従順な神の預言者に成長していきます。

 シナイ(ホレブ)では、神から呼ばれて、「顔と顔をあわせて」神にお会いし、十戒の「石の板」を授けられています。シナイ契約においては、イスラエルの民の代表です。
 出エジプトの救いの重み、アブラハム・イサク・ヤコブの神との契約の意味を、真に理解していたのはモーセと、その側近(数人?)だけのように見えます。

 聞きなさい。イスラエル。主は私たちの神。主はただひとりである。(申命記6章4節)
 心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい。(5節)
 私がきょう、あなたに命じるこれらのことばを、あなたの心に刻みなさい。(6節)


 この力強い命令は、モーセの「荒野の四十年」の鍛練が結実したものです。
 とはいえ、モーセの神信仰と民のそれとの間には、あまりにもへだてがありました。


 私があなたの前に置いた祝福とのろい、これらすべてのことが、あなたに臨み、あなたの神、主があなたをそこへ追い散らしたすべての国々の中で、あなたがこれらのことを心に留め、(申命記30章1節)
 あなたの神、主に立ち返り、きょう、私があなたに命じるとおりに、あなたも、あなたの子どもたちも、心を尽くし、精神を尽くして御声に聞き従うなら、(2節)
 あなたの神、主は、あなたの繁栄を元どおりにし、あなたをあわれみ、あなたの神、主がそこへ散らしたすべての国々の民の中から、あなたを再び、集める。(3節)

 まことに、私が、きょう、あなたに命じるこの命令は、あなたにとってむずかしすぎるものではなく、遠くかけ離れたものでもない。(11節)
 これは天にあるのではないから、「だれが、私たちのために天に上り、それを取って来て、私たちに聞かせて行わせようとするのか」と言わなくてもよい。(12節)
 また、これは海の彼方にあるのではないから、「だれが、私たちのために海のかなたに渡り、それを取って来て、私たちに聞かせて行なわせようとするのか」と言わなくてもよい。(13節)


 演説の終わりの頃になっても、このように繰り返し、噛んで含めるように説明しなければならない民を置いて逝くのは、モーセにとって、どれほど心残りだったことでしょう。





 聖書は新改訳聖書を使わせていただいています。





posted by さとうまさこ at 00:00| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | Coffee Break | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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