2011年08月09日

Coffee Break339 心の割礼(申命記10章16節、30章6節、ローマ人への手紙2章29節)




 たとい、あなたが、天の果てに追いやられていても、あなたの神、主は、そこからあなたを集め、そこからあなたを連れ戻す。(申命記30章4節)

 あなたの神、主はあなたの先祖たちが所有していた地にあなたを連れて行き、あなたはそれを所有する。主はあなたを栄えさせ、あなたの先祖たちよりもその数を多くされる。(5節)

 あなたの神、主は、あなたの心と、あなたの子孫の心を包む皮を切り捨てて、あなたが心を尽くし、精神を尽くし、あなたの神、主を愛し、それであなたが生きるようにされる。(6節)


 申命記10章16節に、すでに、「心の包皮を切り捨てなさい。もう、うなじのこわい者であってはならない。」とあります。(Coffee Break281参照)
 「心の包皮」は、「男性器の包皮」に対応することばとして使われています。

 性器の包皮を切り取る、すなわち、割礼は、アブラハムが「天地を創造された神、主」と契約したときの「契約のしるし」でした。(創世記17章10節〜14節) 肉体を傷つけて刻印をすることで、神との契約の証拠としたのです。

 しかし、出エジプトから、荒野の旅に入ったイスラエルの民は、肉体への刻印(割礼)にもかかわらず、神に従順を貫くことができませんでした。
 神に聞き従うかどうかは、究極的には、心の問題です。それで、モーセは、心の割礼を命じたのです。

 「うなじのこわい者」は、頑固、頑迷で神に聞き従わない。なかなか神の命令が心に届かない者と言う意味です。じっさいにうなじが固いのではなく、心がかたくなな形容なのです。


 申命記10章16節「心の包皮を切り捨てなさい。もう、うなじのこわい者であってはならない」は、モーセの命令でした。文脈を見ると、心の包皮を切り捨てて、神へ従順を意志的に選ぶよう言い聞かせているのです。

 30章では、「たとえ、神ののろいを受けて散らされても、神に立ち返れば、神様はもう一度イスラエルの民を集めて下さる」との文脈で語られています。ですから、その時は、「あなたの主、神が、あなたとあなたの子孫の心を包む皮を切り捨て(させ)る」と、神からの働きかけの意味になっています。

 「間違いを犯してのろいを下されることがあっても、何度でも神様に立ち返って、心を尽くし、精神を尽くして御声に従うよう」モーセは、民に促しているのです。
 そうしていれば、最後には、忍耐強く、愛にあふれた神様は、頑固で蒙昧な民を、神様ご自身の力で変えて下さるというのです。(下線筆者)


 ☆☆☆☆


 申命記の時代から、千四百年ほど後のことです。パウロはローマ人への手紙で、次のように書きました。


 もし、律法を守るなら、割礼には価値があります。しかし、もしあなたが律法にそむいているなら、あなたの割礼は、無割礼になったのです。(ローマ人への手紙2章25節)

 もし割礼を受けていない人が律法の規定を守るなら、割礼を受けていなくても、割礼を受けている者とみなされないでしょうか。(26節)

 外見上のユダヤ人がユダヤ人なのではなく、外見上のからだの割礼が割礼なのではありません。(28節)

 かえって人目に隠れたユダヤ人がユダヤ人であり、文字ではなく、御霊による、心の割礼こそ割礼です
 その誉れは、人からではなく、神からくるものです。(29節)
(下線筆者)


 それにしても、モーセは、やはり、稀有な預言者だと言わざるを得ません。






posted by さとうまさこ at 00:00| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | Coffee Break | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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