2011年08月20日

Coffee Break350 モーセの死3(申命記34章8節〜12節)



 
 イスラエル人はモアブの草原で、三十日間、モーセのために泣き悲しんだ。そしてモーセのために泣き悲しむ喪の期間は終わった。(申命記34章8節)


 モーセの喪の期間は、アロンの死んだときと同じ長さでした。(民数記20章23節〜29節) モーセの口べたを補うために登用されたに過ぎないアロンと、モーセが同じ喪の期間であるのは納得できませんが、イスラエルの民がまだカナン攻めの途上にあったから、型どおりの期間だったのでしょうか。

 モーセの偉大さは、その功績に対して人間的な栄誉で報われた形跡が一切ないところにも現れています。
 およそどの国、どの歴史を通じても、「名を残そう」としなかった王やリーダーはいませんでした。大きな墓やモニュメント、宮殿や都市建設は、支配者の名を立てるためにあったといっても過言ではないでしょう。また、その子どもや子孫が、権力を継承する仕組みを作らなかった権力者もいなかったでしょう。古代では、権力や国も私有財産だと見做されましたから、王の子どもは王になったのです。
 まだ、ヨルダン川の東側にわずかの領土があるだけの弱小のイスラエル。しかし、神聖政治国家イスラエルの中枢は祭司で、その仕事は世襲でした。神がモーセに命じて、それをアロンの家の世襲とさせられたのです。アロンが死ぬとき、その装束は息子エリアザルに譲られたのです。
 しかし、モーセの地位を継いだのは、従者だったヨシュアです。モーセの子供については出エジプトの初めのころ、母親と出エジプトに参加したのはわかっていますが、その後一切出てきません。


 働くだけ働き、自分の使命に殉じ、使命が終わった時には潔く死に、その墓さえ誰も知ったものがいない、これは、先々、だれかが、モーセの功績を慕って「墓を訪れる」ことさえできないのを意味しています。
 私たち人間の世の価値観を覆す、このような最後も、神がモーセに託して意図されたことかもしれません。

 私は、個人的には、懸命に働いて国や社会に功績を残した人を讃えるのに反対ではありませんが、でも、それが神から来たのか、人から来たのかを問う姿勢は必要だと思います。
 権力者がお手盛りで、自分の像を建てたり、自分を讃える歌を作ったり、はては、自分の名前を都市や記念日につけて残すなどするときは、真剣に、神に是非を問うべきではないでしょうか。
「さあ、われわれは町を建て、頂が天に届く塔を建て、名をあげよう」(創世記11章4節)と言って、神に挑戦した人たちの記録が聖書にあります。私たちは、バベルの塔を建てようとした人たちの、二の舞を踏んではなりません。


☆☆☆☆
  
 ヌンの子ヨシュアは、知恵の霊に満たされていた。モーセが彼の上に、かつて、その手を置いたからである。イスラエル人は彼に聞き従い、主がモーセに命じられたとおりに行なった。(9節)

 彼を主は、顔と顔とを合わせて選び出された。(10節)


 一部を取り出したのでわかりにくいかもしれませんが、この「彼」はモーセのことです。ヌンの子ヨシュアはモーセの後任として、困難なカナン攻めを指揮しました。モーセが死んだ時には、すでに、代わりが務まるよう神によって整えられていました。
 それでも、モーセのような預言者は、もう再びイスラエルには起こらなかった。のです。
 
 それは主が彼をエジプトの地に遣わし、パロとそのすべての家臣たち、およびその全土に対して、あらゆるしるしと不思議を行なわせるためであり、(11節)

 また、モーセが、イスラエルのすべての人々の目の前で、力強い権威と、恐るべき威力とをことごとく振るうためであった。(12節)


 出エジプトのための、「十の奇跡」を思い出してください。イスラエルの民を導き守った火の柱、雲の柱。葦の海が割れたこと。マラでの水争い。シンの荒野でのマナとうずらの奇跡。メリバの水争い・・・。
 つぎつぎと襲う困難に、神がお見せになった力強い権威、おそるべき威力こそが、類を見ない、神とモーセの緊密な関係を証していると、私は思うのです。





posted by さとうまさこ at 00:01| 東京 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | Coffee Break | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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